全国に数多く存在する神社の中でも特に歴史が深く、関東地方を中心に厚い信仰を集める氷川神社。さいたま市にある総本社である大宮氷川神社は、約2400年前に創建されたと伝えられ、関東地方を代表する神社の一つとして知られています。
そこで気になるのが、氷川神社にはいったいどんな神様が祀られているのか。ご利益は、「氷川」とは何なのか、といったことではないでしょうか。
本記事では、氷川神社の歴史や由来、祀られている神々の特徴、そして多岐にわたるご利益について詳しく解説。
氷川神社の神々がどのような存在であり、どのような願いにご利益をもたらすのかを知りたい方の参考になりますので、ぜひ最後まで読み進めてください。
本記事の内容
- 氷川神社に祀られている神様とその役割
- 氷川神社の歴史や由来、名称の意味
- 全国に広がった理由とその背景
- ご利益や信仰の対象となる理由
氷川神社はなんの神様を祀ってる

氷川神社とは

氷川神社は、全国に数多く存在する神社の中でも特に歴史が古く、関東地方を中心に広く信仰を集めている神社。その起源は古代にさかのぼり、特に埼玉県の大宮にある氷川神社は総本社として知られています。
氷川神社の主祭神は、武神であり厄除けの神としても信仰される須佐之男命(すさのおのみこと)。その妻である稲田姫命(いなだひめのみこと)、そしてその子孫とされる大己貴命(おおなむちのみこと)も祀(まつ)られています。
これらの神々は、家内安全や商売繁盛、縁結び、厄除けなど、多岐にわたるご利益をもたらすとされ、古くから地域の人々の心の拠り所となってきました。
特に須佐之男命は、荒ぶる神でありながらも八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した勇敢な神として知られており、厄除けや勝負運の向上を願う人々に信仰されています。
稲田姫命は農業や家庭円満を司る神として、特に女性からの信仰が厚く、大己貴命は縁結びの神としても有名で、恋愛成就を願う人々が多く訪れます。
こうした幅広いご利益を持つ氷川神社は、古くから地域の人々に親しまれ、現在でも初詣やお祭りの時期には多くの参拝者で賑わいを見せています。
中でも大宮氷川神社は関東随一の大規模な神社として知られ、年間を通じてさまざまな神事が執り行われています。
由来

氷川神社の由来は、日本神話と深い関わりを持っています。氷川という名称は、『古事記』や『日本書紀』に登場する神話の舞台となった出雲地方の簸川(ひかわ)に由来していると考えられています。
出雲神話によると、須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、根之堅洲国(ねのかたすくに)へ移り住んだ。この神話の流れが関東地方に伝わり、氷川神社の信仰が広がったとされます。
氷川神社は、奈良時代や平安時代にはすでに関東の武士たちの守護神として厚く信仰されていました。特に鎌倉時代以降、武士階級の台頭とともに、戦勝祈願の神社としての性格が強まっていきました。
源頼朝や北条氏といった歴史上の重要な武将たちも氷川神社に参拝し、戦勝祈願を行った記録が残っています。
その後、江戸時代になると徳川家康をはじめとする徳川将軍家が氷川神社を厚く保護し、幕府の庇護のもとで全国各地に分社が増大。
江戸時代における神社の隆盛は、庶民の間にも広く信仰が定着する要因となり、現在のように関東地方を中心に多数の氷川神社が存在する理由のひとつとされています。
さらに、明治時代には国家神道の流れの中で、氷川神社の重要性が再認識され、地域の鎮守としての役割が一層強化されました。特に大宮氷川神社は、関東地方の総鎮守としての位置づけが確立し、広範囲にわたる信仰を集めるように。
現在でも、神職が神話や伝統に基づいた神事を執り行い、多くの人々が祈願に訪れる由緒ある神社としての地位を保ち続けています。
周辺には古代の祭祀の遺跡や神話に関連する地名が数多く残されており、これが氷川信仰の長い歴史を物語る証拠ともなっています。
例えば、大宮氷川神社の境内には、かつての祭祀場とされる「御神木」や「神池」があり、これらの遺跡は今もなお神聖な場所として大切にされています。
このように、氷川神社は単なる神社ではなく、古代から続く信仰の歴史が色濃く残る場所。
氷川神社の成立の背景には、日本神話の影響と武士階級の信仰、さらに江戸時代以降の幕府の庇護が深く関わっており、現在に至るまで多くの人々に崇敬され続けているのです。
御祭神

氷川神社の御祭神として祀られているのは、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱。これらの神々は、日本神話において重要な役割を果たしており、それぞれ異なるご利益を持つことで知られています。
須佐之男命は、荒ぶる神としての一面を持ちながらも、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、人々を守った英雄的な存在。そのため、厄除けや勝負運の向上、さらには強い意志を持ち困難を乗り越える力を授ける神として信仰されています。
稲田姫命は、須佐之男命の妻であり、農耕の神としての側面を持ちます。名前が示すように、稲作に関する神格を持ち、豊穣や家庭円満を祈願する人々に崇拝されています。また、縁結びや夫婦円満の神としても広く知られ、特に女性からの信仰が厚い神様。
大己貴命は、後の大国主命(おおくにぬしのみこと)とも同一視される神であり、出雲神話において国造りを担った神とされています。彼は福の神、商売繁盛の神として信仰されており、また医療やまじないの神でもあります。そのため、事業成功や健康祈願を願う人々にとって非常に重要な神となっています。
これらのご利益に加え、氷川神社には「交通安全」「学業成就」「厄払い」などのご利益もあるとされ、地域の人々にとって欠かせない存在となっています。特に初詣や節分祭などの年間行事では、多くの参拝者が訪れ、それぞれの願いを神々に託します。
このように、氷川神社では単なる一神ではなく、複数の神々を祀ることで、多方面にわたるご利益を授ける場としての役割を果たしてきました。現在も多くの人々がさまざまな願いを持って参拝し、神々のご加護を求めています。
須佐之男命とは

須佐之男命(すさのおのみこと)は、日本神話に登場する強大な力を持つ神であり、その名は『古事記』や『日本書紀』に記されています。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の間に生まれた三貴子(さんきし)の一柱であり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)と並ぶ重要な神様。
神話の中で須佐之男命は、天照大御神の弟として高天原(たかまがはら)に住んでいましたが、その荒々しい性格と行動によって高天原を追放され、地上へと降ります。
出雲の地では八岐大蛇という恐ろしい怪物を退治、その際に救った美しい娘・稲田姫命と結婚しました。この出来事は、現在でも須佐之男命の勇敢さを象徴する神話として広く知られています。
須佐之男命が持つご利益は多岐にわたります。まず、彼が八岐大蛇を退治したことに由来し、厄除けや災難除けの神として崇敬されていること。
また、荒ぶる神としての一面を持つ彼は、戦いにおいて勝利をもたらす神ともされ、勝負運向上を願う人々からの信仰を集めています。
さらに、彼の力強い性格は、困難を乗り越え成し遂げる力を与えるとされ、人生において大きな挑戦をする人々にとっての守護神とも言われています。事業の成功を祈る経営者や、試験やスポーツの勝利を願う人々が彼の神徳を求めて参拝することも多いです。
また、「建国の神」としても崇められており、国造りや地域の発展を願う人々にとっての頼れる存在。そのため、氷川神社は地域の発展や繁栄を願う人々からの崇敬を集め続けているのです。
このように、須佐之男命は単なる荒くれの神ではなく、人々を守り、災難から救う神としての側面を持っています。その力強い神徳を求め、多くの人々が氷川神社を訪れ、ご加護を祈願します。
稲田姫命とは

稲田姫命(いなだひめのみこと)は、日本神話に登場する女神であり、氷川神社の主祭神の一柱として祀られています。またの名を櫛名田比売(くしなだひめ)とも言い、古事記や日本書紀に登場するヤマタノオロチ退治の神話において重要な役割を果たしました。
この神話は、多くの日本人に親しまれており、特に女性の守護神としての信仰が厚い神様。
神話では、稲田姫命は出雲地方の簸川上流(現在の島根県)に住む神・足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)の娘として誕生。名前に「稲田」とあるように、農耕神としての側面も持ち、日本の稲作文化と深い関わりを持つとされています。
しかし、その美しさゆえにヤマタノオロチという八つの頭と八本の尾を持つ巨大な怪物に狙われ、毎年一人ずつ娘を奪われていた両親にとって、最後に残った稲田姫命はまさに命の綱でした。
この絶望的な状況を救ったのが、須佐之男命(すさのおのみこと)。彼は高天原(たかまがはら)を追放され、地上をさまよっていた際にこの家族と出会いました。
須佐之男命はヤマタノオロチ退治を決意し、稲田姫命を自分の妻とすることを条件に、見事に怪物を討ち取りました。この際、オロチの尾から発見されたのが、日本三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)。
この神話が示すように、稲田姫命は日本の神話において「守られる存在」として描かれていますが、それだけではありません。彼女は結婚後、須佐之男命とともに出雲の地で新たな生活を築き、その土地の繁栄と安定を象徴する女神となりました。
このことから、稲田姫命は女性の守護神として信仰されるようになり、特に安産や子宝、家庭円満を願う人々からの厚い信仰を受けています。
氷川神社においても、稲田姫命は女性の守護神として大切に祀られています。特に、夫婦円満や良縁を願う女性が多く参拝し、家庭の安泰や子孫繁栄を祈願する神社として広く知られています。
また、彼女の神話が稲作と結びついていることから、五穀豊穣を願う農家や農業関係者からの信仰も厚く、地域社会の生活に密接に関わる神として崇敬されています。
現代においても、女性の幸せを願う人々の間で稲田姫命の信仰は根強く、特に結婚を控えた女性や妊婦が安産祈願のために訪れることが多い。
また、女性の内面的な強さや家族を守る役割を象徴する神として、多くの女性が自身の人生の節目に氷川神社を訪れる理由にもなっています。
大己貴命とは

大己貴命(おおなむちのみこと)は、日本神話における重要な神の一柱であり、氷川神社の主祭神の一神として祀られています。大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視され、国造りの神、農業神、商業神、さらには縁結びの神として広く信仰を集めています。
大己貴命は、須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫とされ、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治した国津神(くにつかみ)の代表的な存在。葦原中国とは日本の古称で、高天原と黄泉の国の中間に位置する地上の世界のこと。
特に「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」の神話でよく知られており、この話の中で彼は傷ついた兎を助け、その優しさと慈悲深さを示しました。このエピソードは、大己貴命が人々を守り、幸福へと導く神であることを象徴しており、彼が縁結びの神として信仰される理由の一つとなっています。
大己貴命は多くの女性と結ばれた神でもあります。彼には多数の妻がいたとされ、代表的な妃には須勢理毘売(すせりびめ)、沼河比売(ぬなかわひめ)、八上比売(やがみひめ)などがいます。
特に須勢理毘売との関係は、日本神話における恋愛の試練を象徴する物語として有名。彼は須佐之男命からの厳しい試練を乗り越え、須勢理毘売と結ばれることができました。このことから、大己貴命は恋愛成就や良縁を願う人々にとって大きな希望の象徴となっています。
氷川神社では、大己貴命は縁結びの神として広く信仰されています。特に若い男女が良縁を求めて参拝することが多く、恋愛だけでなく、仕事や人間関係においても良い縁を結ぶ神として崇敬される存在。
縁結びのご利益を受けるために、氷川神社では特定の神事やお守りが用意されており、これを授かることで願いが叶うと信じられています。
また、国造りの神としても知られており、地域社会や国家の繁栄を願う人々からも厚い信仰を受けています。商売繁盛や事業成功のご利益もあるとされ、経営者やビジネスパーソンが参拝する姿もよく見られます。
氷川神社はなんの神様:その本社と分社

総本社

氷川神社の総本社は、埼玉県さいたま市大宮区に鎮座する「大宮氷川神社」。この神社は、全国に約280社ある氷川神社の中心的存在であり、関東地方を代表する歴史ある神社の一つとして知られています。
創建は約2400年前と伝えられ、古代から続く由緒正しい神社。「大宮」という地名自体が、この氷川神社の存在に由来していることからも、その地域における重要性がうかがえます。
大宮氷川神社は、武蔵国一宮(むさしのくにいちのみや)としても知られ、かつての武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部を含む広域)において最も格式の高い神社とされてきました。
この格式の高さゆえに、古代から朝廷や武士たちの崇敬を集め、地域社会の精神的支柱としての役割を果たしてきました。
本殿には、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱が御祭神として祀られています。
この三柱の神々が揃うことで、氷川神社は広範なご利益を持つ神社として多くの参拝者を集めてきました。
境内は広大で、約20万平方メートルにも及ぶ敷地を誇ります。境内には立派な楼門や神楽殿があり、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
参道は2キロメートルにもわたり、長い並木道が続いており、訪れる人々に神聖な空気を感じさせます。この参道は、明治時代に整備されたもので、日本一長い神社参道として知られています。
毎年正月には、初詣の参拝者が多く訪れ、例年200万人以上が参拝するなど、関東地方において非常に人気のある神社。また、春には桜が美しく咲き誇り、秋には紅葉が境内を彩るなど、四季折々の風景が楽しめることも魅力の一つ。
年間を通じてさまざまな祭りや行事が行われ、特に「十日市(とおかいち)」という12月10日の縁日には、熊手を求める人々で賑わいます。
大宮氷川神社は長い歴史と格式を持ち、多くの人々に親しまれてきた関東地方の代表的な神社。その格式と広範なご利益、さらには地域社会への深い関わりから、氷川神社の総本社として今もなお多くの参拝者の信仰を集め続けています。

全国に多い理由

氷川神社が全国に広く分布している理由は、主にその歴史的背景と信仰の広がりにあります。氷川神社の発祥は現在の埼玉県であり、武蔵国を中心に広がった神社ですが、特に関東地方に多く見られます。
これは、氷川神社が地域の人々にとって身近な存在であり、さまざまな歴史的経緯を経て全国へと広がっていったため。
氷川神社が関東地方を中心に増えた背景として、武蔵国一宮である大宮氷川神社の影響が挙げられます。古代から氷川神社は武士の守護神として信仰されており、特に鎌倉時代や戦国時代には多くの武士が戦勝祈願のために参拝しました。
源頼朝をはじめ、後の江戸幕府を開いた徳川家康も氷川神社を崇敬し、その庇護のもとで多くの分社が建立。
また、江戸時代には、関東地方を中心とする庶民の間で氷川神社信仰が広がりました。幕府が庇護した神社は庶民の間でも広く信仰され、各地に新たな氷川神社が建立されるきっかけに。
特に農村部では、五穀豊穣や家内安全を願う人々によって氷川神社が次々と建立。そのため、埼玉県や東京都、神奈川県には現在でも多くの氷川神社が点在しています。
さらに、明治時代になると、国家神道の政策の一環として、地方の小さな神社が統合される流れがありました。この際に、格式の高い氷川神社が選ばれ、多くの地域で新たな氷川神社が誕生。このような神社統合の影響もあり、関東地方を中心に氷川神社の数が増えていきました。
もう一つの理由として考えられるのが、氷川神社が祀る須佐之男命(すさのおのみこと)の人気。須佐之男命は、日本神話においてヤマタノオロチを退治した英雄神であり、厄除けや勝負運向上の神として信仰されています。
そのため、氷川神社は戦国時代には武士たちの守護神とされ、江戸時代には庶民の間で流行した疫病除けの神としても広まりました。このような信仰の広がりが、氷川神社の数が増える要因となったのです。
氷川神社の「氷川」という名前が、日本神話に登場する「簸川(ひのかわ)」に由来していることも、神社が広まる一因。出雲地方の神話と結びつきのある神社であることから、関東だけでなく、他の地域でも信仰の対象となり、多くの氷川神社が創建されました。
このように、氷川神社が全国に多く分布する背景には、歴史的な庇護、庶民の信仰の拡大、国家神道の政策、そして須佐之男命の人気といった要因が絡み合っています。
現在でも、多くの氷川神社が地域の守護神として人々の生活に根付いており、関東を中心に全国各地で参拝され続けています。
主な氷川神社

氷川神社は全国に数多く存在しますが、その中でも特に歴史があり、多くの参拝者を集める代表的な神社を5つ紹介します。それぞれの神社が持つ特徴や見どころを解説。
1. 川越氷川神社(埼玉県川越市)
小江戸・川越の観光名所のひとつとして知られる川越氷川神社は、縁結びの神社として特に有名。ここでも、須佐之男命と稲田姫命、そしてその子孫である大己貴命が祀られています。
夫婦神を祀ることから、恋愛成就や夫婦円満のご利益があるとされ、多くのカップルや結婚を願う人々が参拝に訪れます。
特に人気なのが「縁結び風鈴」のイベントで、夏の時期には境内に無数の風鈴が吊るされ、涼やかな音色が響き渡ります。
境内では「良縁祈願の赤い糸」や「縁結びのお守り」が授与され、願いを込めて持ち帰る参拝者も多い。結婚式が行われることも多く、特に女性からの信仰が厚い神社のひとつとなっています。
2. 赤坂氷川神社(東京都港区赤坂)
東京都内にも複数の氷川神社がありますが、中でも赤坂氷川神社は歴史と格式を持つ神社。徳川八代将軍・吉宗によって再建され、江戸時代から続く由緒ある神社として知られています。
この神社の特徴は、都会の中心部にありながら、静寂に包まれた境内の雰囲気。境内には樹齢400年以上の大銀杏があり、厳かな雰囲気を醸し出しています。仕事運や商売繁盛のご利益があるとされ、企業経営者やビジネスマンが多く訪れる神社としても有名。
また、秋には「赤坂氷川祭」と呼ばれる祭礼が行われ、伝統的な神輿や山車が町を練り歩く姿を見ることができます。
3. 相模原氷川神社(神奈川県相模原市)
相模原氷川神社は神奈川県相模原市に位置する歴史ある神社。1843年に創建され、地元の鎮守様として地域の人々に親しまれています。主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)で、厄除けや除災招福、交通安全のご利益があるとされています。
神社ではさまざまなご祈祷やお守りの提供も行っており、毎日多くの参拝者が訪れます。アクセスはJR相模原駅から徒歩約14分です。
素盞嗚尊は農業の守り神としても崇められており、歴史的には新田開発の際に人々の心のより所として信仰されてきました。神社内には安産子育地蔵尊や道祖神などの信仰対象もあり、地域の人々に愛されています。
境内には、御朱印の授与所やお札・お守りの授与所があり、参拝者は午前9時から午後4時までの間にこれらを利用できます。毎月1日には月次祭が行われており、例祭も8月23日に開催。これらの行事に合わせて、参拝や御祈願の機会が設けられています
4. 伊興氷川神社(東京都足立区)
伊興氷川神社(いこうひかわじんじゃ)は、東京都足立区東伊興に位置する神社で、別名「渕の宮」としても知られています。足立区内で最古の氷川社で創建は不詳。
この地は、かつて淵江領と呼ばれ、数多くの村々の総鎮守とされていました。江戸時代には、この神社は伊興村、保木間村、竹塚村の鎮守として認識されていました。神社が「渕の宮」と呼ばれる由来は、周囲の地形が“渕”と称される水の深い部分に位置していたことに由来
1982年に足立区の登録記念物(史跡)に指定され、地域の歴史と文化を代表する重要な遺産とされています。地元の人々にとって、この神社は精神的な拠り所であり、様々な祭りや行事が行われています。
境内には、浅間社、稲荷社、三峯社などの末社があり、これらの社も地域の信仰の対象となっています。
5. 氷川神社(東京都板橋区)
東京都板橋区の文字通り氷川町に位置する神社。江戸時代からの歴史を持ち、地域の人々に深く愛されています。神社の社殿は鉄筋コンクリート造であり、流造のスタイルが特徴。また、幣殿、拝殿も併設されており、改築された際には銅版葺きに変更されました。
この神社は、かつての上板橋村の鎮守としても知られています。境内には、江戸時代から昭和40年代までの農機具が展示されている郷土資料館もあり、地域の歴史と文化を学ぶことができます。地域住民との関わりも深く、多くの祭りや行事が行われています。
1889年(明治22年)火災により焼失、翌年に再建するも1945年空襲により再度焼失。現在の社殿は、1954年に結成された御造営奉賛会により再建されたもので、1958年(昭和33年)9月に竣工。1872年に村社、1873年に郷社となりました。
まとめ:氷川神社はなんの神様を祀ってる
- 氷川神社は関東地方を中心に広く信仰される神社である
- 総本社は埼玉県さいたま市大宮区の大宮氷川神社である
- 創建は約2400年前とされ、古代から続く由緒ある神社だ
- 主祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱
- 須佐之男命は厄除け・勝負運の神として信仰される
- 稲田姫命は家庭円満や安産の神として女性からの信仰が厚い
- 大己貴命は縁結びや商売繁盛の神として崇敬される
- 「氷川」の名は出雲地方の簸川に由来する
- 鎌倉時代以降、武士たちの守護神として信仰を集めた
- 徳川家康をはじめとする江戸幕府が保護した
- 明治時代には国家神道の影響でさらに格式が高まった
- 全国に約280社の氷川神社が存在し、関東地方に特に多い
- 氷川神社のご利益には厄除け、縁結び、家内安全などがある
- 川越氷川神社や赤坂氷川神社など有名な分社が多数存在する
- 参道が2km続く大宮氷川神社は、日本一長い参道を持つ神社である





