「氷川神社という名前はよく聞くけど、その総本山はどこにあるのだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
関東地方、特に埼玉や東京で多く目にする氷川神社ですが、その広大なネットワークの中心となる「総本社」の存在については、意外と知られていないかもしれません。
この記事では、「氷川神社とは」という基本的な情報から、その全国ネットワークの中心である総本社の場所を詳しく解説。
総本社へのアクセス方法や、2000年以上の深い歴史的背景、そして祀(まつ)られている三柱の祭神についても、そのご利益と共に丁寧に掘り下げていきます。
さらに、約3万坪の広大な境内の見どころやパワースポット、一部でささやかれる「怖いと噂される理由」の真相、そして訪れる前に知っておきたい正しい参拝の方法まで、知りたい情報を網羅。
この記事を読めば、氷川神社の総本山に関する疑問がすべて解決し、その壮大な歴史とご利益の背景を深く理解することで、次回の参拝がより一層意義深いものになるはずです。
本記事の内容
- 氷川神社の総本山とは
- 総本山への具体的なアクセス方法や参道の特徴
- 祀られている祭神や境内の主な見どころ
- 氷川神社の歴史や全国への広がり、参拝マナー
氷川神社の総本山はどこ?基礎知識

氷川神社とは

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、主に関東地方に広く分布する神社ネットワーク。その数は全国で約280社にも及び、特に埼玉県や東京都の荒川流域に集中して鎮座しています。
この地理的特徴は、偶然ではありません。荒川の水運や流域での稲作といった、古来の人々の生活と信仰が密接に結びついていたことを強く示唆しています。
これらの神社の多くは、出雲系の神様である須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神として祀っているのが大きな特徴。氷川信仰は日本の古い信仰形態の一つである出雲信仰と深い関わりがあるとされています。
これは、古代に出雲地方から人々が移り住み、その文化や信仰をこの地にもたらしたことの証左でもあります。武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)において、氷川神社は非常に重要な位置を占めてきました。
この地域が開拓される過程で、移り住んできた開拓者たちの氏神として、また地域の安寧と発展を守る「鎮守様(ちんじゅさま)」として、各地に分祀(ぶんし)されて信仰が広まっていったと考えられています。
まさに、関東の地に深く根差した、地域社会の精神的な支柱となる信仰のネットワークと言えるでしょう。
氷川神社の総本社とは

全国に約280社ある氷川神社の総本社(総本宮)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある「武蔵一宮 氷川神社」です。
「一宮(いちのみや)」とは、特定の地域(旧律令国)の中で最も格式が高いとされる神社のこと。これは単なる名誉称号ではなく、朝廷からの奉幣(ほうへい)を筆頭に受けるなど、公的にも最高位の神社であったことを意味します。
つまり、「武蔵一宮」という称号は、かつての広大な武蔵国において、当社が信仰と格式の頂点に立つ神社であったことを明確に示しています。
また、現在の「大宮」という地名は、この氷川神社を「大いなる宮居(みやい)」と称えたことに由来すると言われており、神社が存在したからこそ街が形成されたことが分かります。
地名の由来となるほど、古くから圧倒的なスケールと中心性を持った存在であったことがうかがえます。
歴史的にも朝廷や武家からの崇敬が厚く、鎌倉時代には源頼朝が武運長久を祈願して社殿を再建し、江戸時代には徳川家が江戸城の鎮護(鬼門の守り)として社領を寄進するなど、多くの為政者に支えられてきました。
明治時代に入ると、明治天皇が東京へ都を移された際、大宮氷川神社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と定め、自らご親祭を行っています。
これは、近代国家の首都圏を守護する重要な神社として、その神威が改めて国家に認識されたことを意味します。このことにより、大宮氷川神社は近代社格制度において最高位の官幣大社に列せられ、その格式を不動のものとしました。
アクセス方法

武蔵一宮氷川神社へのアクセスは、公共交通機関の利用が便利。
最も一般的なルートは、JR「大宮駅」東口から徒歩で向かう方法で、約20分程度かかります。大宮駅は新幹線も停車する巨大なターミナル駅であり、さまざまな路線からのアクセスが良好です。
駅からの道のりでは、賑やかな商店街を抜け、次第に緑豊かな参道へと至る街の雰囲気の変化も楽しめます。
できるだけ歩く距離を短くしたい場合は、東武野田線(東武アーバンパークライン)の「大宮公園駅」または「北大宮駅」を利用する方法もあります。
これらの駅からは、緑豊かな大宮公園を抜けるなど、より静かで落ち着いた雰囲気の中をそれぞれ徒歩約10分で境内に到着可能。参拝前に心を静めるには最適のルートかもしれません。
車で訪れる場合は、首都高速埼玉新都心線の「新都心西出入口」や、東北自動車道の「岩槻IC」が最寄りのインターチェンジ。神社には参拝者用の駐車場も用意されていますが、収容台数には限りがあります。
特に正月三が日や12月10日の大湯祭(十日市)、七五三シーズン、週末や祝日などは大変混雑し、駐車場待ちの渋滞が発生することも。
周辺のコインパーキングも限られているため、特別な事情がない限り、ストレスなく参拝できる公共交通機関の利用が推奨されます。
| 交通手段 | 最寄り駅・IC | 所要時間(目安) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 電車 | JR各線「大宮駅」東口 | 徒歩約20分 | 表参道(一の鳥居)から歩く場合は「さいたま新都心駅」も選択肢 |
| 電車 | 東武野田線「大宮公園駅」 | 徒歩約10分 | 緑豊かな公園を抜けるルート |
| 電車 | 東武野田線「北大宮駅」 | 徒歩約10分 | 比較的静かなルート |
| 車 | 首都高速埼玉新都心線 | 「新都心西出入口」 | 詳細は公式サイト要確認 |
| 車 | 東北自動車道 | 「岩槻IC」 | 詳細は公式サイト要確認 |
参道と鳥居の不思議体験

武蔵一宮氷川神社の最大の特徴の一つが、その長大な「表参道」。さいたま新都心駅近くの旧中山道から境内手前まで、南北にほぼ一直線に約2kmも続くこの参道は、日本一の長さを誇ると言われています。
この道程は単なる通路ではなく、参拝への「心の準備」の道であり、一歩一歩進むごとに日常の喧騒が遠のき、心が清められていくのを感じられるでしょう。
雄大なケヤキを中心とした並木道は、春の新緑、夏の濃い木陰、秋の紅葉と、四季折々の美しさを見せ、訪れる人々を厳かな気持ちにさせてくれます。
参道には三つの大きな鳥居が構えられており、それぞれが神域への結界、すなわち俗世と聖域を分ける象徴的な門を示しています。
一の鳥居
旧中山道との分岐点に立つ、参道の起点。高さが約13メートルあり、ここから神聖な道が始まります。最寄り駅はJR「さいたま新都心駅」になります。
二の鳥居
県道2号線と交差する地点にあります。現在の木造鳥居は高さ約18メートルを誇り、1976年(昭和51年)に明治神宮で落雷により破損した旧第二鳥居が譲り受けられ、修復・移築されたもの。
首都圏の二大神社である明治神宮との深い縁を感じさせる、非常に存在感のある鳥居です。JR「大宮駅」から徒歩で向かうと、多くの場合この二の鳥居の手前付近から参道に入ることになります。
三の鳥居
境内への直接の入口となる鳥居です。ここをくぐると、いよいよ神池や楼門が広がる中心的な神域に入ります。
大宮駅から歩く場合、二の鳥居までの道のりも街の雰囲気を楽しみながら進めますが、もし時間に余裕があれば、さいたま新都心駅から一の鳥居を目指し、約2kmの参道をすべて歩いてみるのも良いでしょう。
それは一種の「歩く瞑想」とも言え、神社の始まりから終わりまで、その壮大なスケールと清らかな空気を全身で感じる、特別な参拝体験となるはずです。
境内の見どころ

三の鳥居をくぐり境内に入ると、まず目に入るのが神池に架かる朱塗りの「神橋(しんきょう)」。これは俗世と神域とを分ける最後の結界の役割も持っています。
その奥には、鮮やかな朱色が美しい「楼門(ろうもん)」がそびえ立ち、神社の象徴的な景観の一つとなっています。
現在の主な社殿群は、皇紀二千六百年(昭和15年・1940年)を記念して国費で造営されたもので、昭和期の神社建築の粋を集めた荘厳な造り。幸いにも戦火を免れ、今にその美しい姿を伝えています。
楼門をくぐると、正面には「舞殿(ぶでん)」があります。ここでは祭典の際に厳かな舞楽などが奉納されます。そして、舞殿の奥に位置するのが「拝殿(はいでん)」。
私たちが実際に参拝を行い、神様とのご縁を結ぶのはこの拝殿の前となります。ご祭神が祀られている最も神聖な「本殿(ほんでん)」は、そのさらに奥、瑞垣(みずがき)に囲まれた中に鎮座しています。
境内の主な見どころ
約3万坪とも言われる広大な境内には、本殿以外にも多くの見どころがあります。
- 神池(かみいけ): 楼門の手前に広がる池で、かつてこの地にあった広大な見沼(みぬま)の名残とされています。池に浮かぶ小島には「宗像神社(むなかたじんじゃ)」が祀(まつ)られています。
宗像三女神は水や航海の神であり、同じく水辺の神様である弁財天信仰とも結びついており、池の神聖性をより一層高めています。 - 蛇の池(じゃのいけ): 本殿の西側、少し奥まった場所にある湧水地。今も清らかな水が湧き出ており、聖なる泉として古くから信仰の対象となってきました。
生命力の象徴ともされ、境内でも特に強いパワースポットの一つとされています。この水は「ご神水」として尊ばれています。 - 摂末社(せつまつしゃ): 境内には多くの摂社や末社が点在しています。特に「門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)」は、氷川神社が鎮座する以前からの地主神である「荒脛巾(あらはばき)」を祀る古社とされています。
出雲から来た氷川の神様が、この地の「大家さん」とも言える地主神に敬意を払い、摂社の中でも特別な扱いをしている点に、日本古来の信仰のあり方を感じ取ることができます。
三柱の祭神

武蔵一宮氷川神社には、主に三柱の神様が祀られています。
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
- 稲田姫命(いなだひめのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
これらはいずれも出雲系の神々であり、三柱の関係性は「夫婦神とその子孫」という非常に縁の深いもの。一つの神社にこれら家族の神々が揃って祀られていることは、非常に縁起が良いとされています。
須佐之男命は、天照大御神の弟神。神話では高天原での乱暴な振る舞い(荒ぶる神)がある一方で、地上に降りてからは八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治して人々を救う英雄的な側面を持つ、強力な神様です。
その神格は、破壊と創造、混沌と秩序といった二面性を持ち、非常にダイナミックで強い力を持つとされています。
稲田姫命は、ヤマタノオロチの生贄にされそうになったところを、須佐之男命によって救い出された姫神です。その後、二柱は夫婦となりました。
この神話から、彼女は災難から守られる象徴であると同時に、妻として、また母としての神格も持ち合わせています。
大己貴命は、須佐之男命の六世の孫(または子ともされる)であり、出雲大社の主祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名。
「因幡の白兎」の神話で知られる心優しき神であり、医療や農耕を広め、人々の生活基盤を整える「国造り」を成し遂げた偉大な神様です。
これらのご祭神が持つ豊かな神格から、氷川神社は多様なご利益があるとされています。
須佐之男命と稲田姫命が夫婦神であることから「縁結び」「安産」「家内安全」、そして国造りの神である大己貴命から「商売繁昌」「交通安全」「災難除け」など、多くの人々の祈願を受け止めています。

氷川神社の総本山はどこ?歴史と分布

各地に建立された理由

氷川神社が関東、特に武蔵国(埼玉・東京)に集中して分布している背景には、この地域の開拓の歴史が深く関わっています。
社伝によれば、武蔵一宮氷川神社の創建は今から2000年以上前の孝昭天皇の時代とされています。その後、第十三代成務天皇の時代に、出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)としてこの地へ赴任。
彼は、単なる統治者としてだけでなく、出雲の先進的な稲作技術や文化、そして自らの祖神である出雲の神々(須佐之男命など)への信仰をもたらし、氷川神社を篤く奉崇したと伝えられています。
これは、政治と祭祀が一体であった古代において、自らの祖先の神威によってこの地を治め、発展させようという強い意志の表れでした。
氷川神社の「氷川(ひかわ)」という社名は、出雲地方を流れる「簸川(ひかわ)」(現在の斐伊川)に由来するという説が有力。
出雲の斐伊川は、ヤマタノオロチ神話の舞台でもあり、須佐之男命と非常に縁の深い川。遠く離れた新天地に、故郷の聖なる川の名を冠した神社を祀ることで、その加護を願ったのでしょう。
つまり、出雲族が開拓を進めた荒川流域(旧武蔵国足立郡)は、水運や稲作に適した土地であり、彼らの生活基盤が整うと共に、その信仰の中心である氷川神社が数多く建立されたものと考えられます。
平安時代には『延喜式神名帳』に「名神大社」として記載され、朝廷からも重要視されていました。鎌倉時代には源頼朝が篤く崇敬し社殿を再建、関東の武士層にも信仰が広がります。
江戸時代には徳川幕府の庇護を受け、明治時代には前述の通り、武蔵国の鎮守・勅祭の社として官幣大社に列せられ、総本社としての地位を確立。これらの歴史的な崇敬が、信仰をさらに強固にし、分社を増やす要因となったのです。
主な氷川神社

総本社である大宮氷川神社以外にも、関東地方には歴史があり、多くの参拝者を集める有名な氷川神社がいくつか存在します。
| 神社名 | 所在地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 武蔵一宮 氷川神社 | 埼玉県さいたま市大宮区 | 総本社。日本一長い参道と深い歴史を持つ。 |
| 川越氷川神社 | 埼玉県川越市 | 縁結びの神様として絶大な人気。夏に開催される「縁むすび風鈴」は圧巻。 |
| 赤坂氷川神社 | 東京都港区 | 徳川吉宗公造営の社殿が現存。都心にありながら静謐な空気が流れる。 |
| 渋谷氷川神社 | 東京都渋谷区 | 渋谷区最古の神社とされる。緑豊かな境内が都会のオアシスとなっている。 |
| 中山神社(中氷川神社) | 埼玉県さいたま市見沼区 | 大宮氷川神社・氷川女体神社と直線上に並ぶ三社の一つ。 |
| 氷川女体神社 | 埼玉県さいたま市緑区 | 見沼の畔にあり、大宮氷川神社(男体社)と対をなす存在。 |
特に、さいたま市内にある「中山神社(中氷川神社)」と「氷川女体神社」は、大宮の「氷川神社(男体社)」と合わせて一直線上に並んで鎮座しています。
これは偶然ではなく、三社で広大な見沼(かつて存在した広大な沼)を龍神として祀っていたという説や、古代の太陽信仰(夏至・冬至の日の出・日の入り)と関連があるとも言われ、古代の信仰形態を今に伝えるミステリアスな配置として知られています。

怖いと噂される理由とは

一部で「氷川神社は怖い」といった噂が聞かれることがありますが、これはいくつかの俗説や神様の性質に対する誤解から生じているものと考えられます。
一つの理由として、主祭神である須佐之男命の神格が挙げられます。
須佐之男命は、神話において高天原で乱暴を働いたとされる「荒ぶる神」としての一面を持っています。また、ヤマタノオロチを退治する英雄的な力強さも持ち合わせています。
古来の信仰では、このような強大な力を持つ神は、「祟る神」と「護る神」の二面性を持ち、正しく祀らなければ災いをもたらすという「御霊信仰」的な側面があり、それが畏怖の対象となり得ます。
これは「怖い」というより「畏れ多い」と言うべきものでしょう。もう一つの理由としてあるのが、大宮氷川神社の摂社である「門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)」の存在。
この神社は元々「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれており、氷川神社が鎮座する以前からの地主神を祀るとされています。
「アラハバキ」という謎多き神様の響きや、その土着の強力なエネルギーが、オカルト的な憶測や「怖い」というイメージと結びついた可能性があります。
しかし、これらは神様の力が強大であることの裏返しとも言えます。「怖い」という感情は、神様の持つ計り知れない力に対する「畏敬の念」の表れ。
神聖な場所に対する敬意を払い、正しく参拝すれば何も恐れることはありません。むしろ、それだけ強力なご利益や厄除けの力をいただけるパワースポットであると捉えることができます。

氷川神社参拝の方法とマナー

武蔵一宮氷川神社へ参拝する際の作法やマナーは、基本的には他の神社と同様ですが、その一つ一つの動作の意味を知ることで、より深く祈りを込めることができます。
- 鳥居をくぐる時: 神域への入口である鳥居の前で、まずは軽く一礼してからくぐります。神様のお住まいにお邪魔するという気持ちの表れです。
- 参道を歩く時: 参道の中央(正中)は神様の通り道とされています。中央を避け、左右どちらかの端に寄って歩くのがマナーです。これは神様への敬意を示す行為です。
- 手水舎(てみずしゃ): 参拝の前に、手水舎で心身を清めます。これは「禊(みそぎ)」を簡略化した、参拝に不可欠な儀式です。
- 右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲んで左手を清めます。
- 柄杓を左手に持ち替え、右手を清めます。
- 再び右手に持ち替え、左の手のひらに水を受け、その水で口をすすぎます。(柄杓に直接口をつけません)
- 口をすすぎ終えたら、もう一度左手を清めます。
- 最後に、柄杓を立てて残った水で柄の部分を洗い流し、元の場所に戻します。
- 拝殿での参拝: 拝殿の前に進んだら、お賽銭を静かに入れ、鈴を鳴らします。その後の作法は「二礼二拍手一礼(にれいにはくしゅいちれい)」です。
- 深いお辞儀(礼)を2回行います。(神様への深い敬意を表します)
- 胸の高さで両手を合わせ、右手を少し下にずらしてから、2回拍手(かしわで)を打ちます。(神様をお呼びし、感謝と敬意を伝えます)
- 拍手の後、ずらした右手を元に戻し、両手を合わせて静かに祈願します。この時、まず自分の名前と住所を心の中で伝えると良いとされています。
- 最後に、もう一度深いお辞儀(礼)を1回行います。(改めて敬意を表します)
大宮氷川神社の境内は非常に広大で、摂末社も多く点在しています。本殿への参拝を終えたら、ぜひ境内を巡ってみてください。その際は、それぞれの摂末社にもご挨拶する気持ちで手を合わせると良いでしょう。
特に地主神である「門客人神社」や、池に浮かぶ「宗像神社」への参拝もおすすめ。すべてを巡るには時間がかかるため、事前に見たい場所を決めておくか、時間に十分な余裕を持って訪れることをおすすめします。
まとめ:氷川神社の総本山はどこにある
- 氷川神社の総本山は埼玉県さいたま市大宮区にある
- 正式名称は「武蔵一宮氷川神社」である
- 「大宮」の地名は「大いなる宮居」に由来する
- 全国に約280社ある氷川神社の中心である
- 主な祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱である
- 夫婦神と子孫神が祀られ縁結びのご利益が有名だ
- ご利益は家内安全、商売繁昌、交通安全など多岐にわたる
- JR大宮駅東口から徒歩約20分でアクセス可能
- 東武野田線の大宮公園駅や北大宮駅からも近い
- 日本一長いとされる約2kmの参道が特徴である
- 参道には一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居がある
- 二の鳥居は明治神宮から移築されたもの
- 境内の神池や蛇の池はパワースポットとして知られる
- 怖いという噂はアラハバキ神や祭神の神話に由来する俗説である
- 正しい参拝作法は二礼二拍手一礼