言霊を司るという非常に珍しい神様を祀ることで有名な一言主神社。そのネーミングとも相まって、多くの参拝者を集める人気の神社でもあります。
この一言主神社ですが、一部には怖いという噂があるようです。確かに、一言主神社にはどこか神秘的で、人によっては畏敬の念を抱かせる雰囲気があります。
ですが、怖いとは穏やかではありません。中には「一言主神社は怖い」という評判を耳にして、参拝をためらう人もいるかもしれません。いったい怖いとはどういうことなのでしょう。
この記事では、一言主神社が怖いとされる理由を詳しく解説するとともに、祀られている御祭神とご利益、そして失敗や後悔なく願いを叶える方法について、分かりやすくご紹介。
正しい参拝方法やおすすめの授与品、さらには一言主神社へのアクセス方法まで、あなたの疑問や不安を解消するための情報を網羅しました。この記事を読めば、神社の持つ本当の魅力に気づき、安心して参拝に臨めるはずです。
本記事の内容
- 一言主神社が「怖い」と言われる本当の背景
- 願いが叶うとされる理由と正しいお願いの仕方
- 参拝前に知っておきたいご利益と授与品の情報
- 迷わず行けるアクセス方法と境内の見どころ
一言主神社は怖いと言われる理由

一言主神社とは

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)は、1200年以上の非常に長い歴史を持つ、由緒正しい神社です。
創建は遡(さかのぼ)ること平安時代初期の809年(大同4年)。この時代は、都が平城京から平安京へ移された直後であり、日本という国家の形が整えられていく重要な時期でした。
その始まりは、日本の神社の中心地の一つである大和国(現在の奈良県)葛城山(かつらぎやま)に鎮座する総本社「葛城一言主神社」より、一言主大神の御霊をこの関東の地にお迎え(勧請)したことによります。
創建には「三岐の竹(みつまたのたけ)」という神秘的な伝承が深く関わっています。ある冬の日、雪深い中に不思議な光が差し、そこから突如としてタケノコが生え、一晩のうちに三つ又に分かれた珍しい竹へと成長。
あまりの不思議さに村人たちが神事を行って占ったところ、「我は葛城の一言主大神なり。東国の民を災いから救うためにここへ来た。この三岐の竹を我が御霊の宿る依り代として、末永く祀るように」とのお告げがあったのです。
この神秘的な出来事が神社の起源であり、今なお「三竹山一言主神社」という別名で呼ばれる所以となっています。
神社の名前にある「一言主」とは、日本最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』に記された、御祭神の持つ特別な性質に由来。
第21代雄略天皇が葛城山で狩りをしていた際、自分と瓜二つの姿で現れた神に名を問うたところ、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えられたといいます。
この「言い離つ」は、発した言葉通りの結果を引き起こす強い力を意味します。そのため、この神様への願い事も「一言」に真心を込めて伝えることが何よりも大切だと考えられ、神社の名前として現在に受け継がれているのです。
御祭神とご利益

一言主神社に主祭神としてお祀りされているのは、「一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)」。
この神様は、前述の通り「言葉」に宿る霊的な力、すなわち「言霊(ことだま)」を司る神様として、古くから篤い信仰を集めてきました。発した言葉が現実になるという、非常に力強いご神徳を持つのが特徴。
一言主大神は、出雲大社のご祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の長子であり、神々の会議で重要な託宣(神のお告げ)を下したとされる「事代主神(ことしろぬしのかみ)」と同一の神様であるとも伝えられています。
事代主神は、七福神の一柱として民間で広く親しまれている「えびす様」のことであり、人々に福と富をもたらす商売繁盛の神様としても知られています。
このように、厳格な力を持つ側面と、福をもたらす温和な側面を併せ持つ神様がお祀りされているため、一言主神社のご利益は非常に多岐にわたります。主なご利益としては、以下のようなものが挙げられます。
- 心願成就:「一言の願いであれば、どのようなことでも聞き届けてくださる」という、この神社を象徴するご利益です。明確な目標を持つ人にとって、これほど心強いことはありません。
- 商売繁盛・金運向上:事代主神(えびす様)のご神徳から、事業の成功、会社の繁栄、財運の上昇にご利益があるとされます。
- 災禍除け・厄除け:悪いことから身を守り、日々の生活を平穏に導いてくださいます。
- 五穀豊穣:農作物が豊かに実るよう見守ってくださる、生命の根源に関わるご利益。
- 縁結び:男女の良縁はもちろんのこと、仕事上のパートナーや生涯の友人など、人生を豊かにする様々なご縁を結んでくださいます。
これらのご利益をいただく上で最も大切なのは、願い事を「一つ」に絞ること。多くの願いを並べると、一つ一つの願いに対する祈りのエネルギーが薄まってしまうと考えられています。
自分自身の心と深く向き合い、今一番叶えたい願いを一つだけ選び、その一言に全ての思いを込めて真摯に伝える姿勢が、神様のご加護をいただくための鍵となります。
怖いとされる理由:周辺の環境

一言主神社が「怖い」と感じられる最も分かりやすい理由の一つに、神社の立地と昼と夜とで大きく変わる、その周辺環境が挙げられます。
茨城県常総市に位置する神社は、広大な関東平野の豊かな自然に囲まれており、日中に訪れると非常に穏やかで清々しい空気が流れています。
参拝者で適度に賑わい歴史を感じさせる厳かな本殿や、力強く根を張る木々の佇まいは、訪れる人の心を和ませ、落ち着かせてくれる神聖な空間。
しかし、太陽が沈み夜の帳(とばり)が下りると、その雰囲気は一変。神社の周辺は田園地帯であり、夜間は街灯もまばらで人通りはほとんど途絶えます。
境内は深い静寂と漆黒の闇に包まれ、昼間の明るく開かれたイメージとは全く異なる、どこか近寄りがたい表情を見せるのです。
特に一人で夜間に参拝したり車で神社のそばを通りかかったりした際には、その絶対的な静けさと暗さが相まって、本能的な「怖さ」を感じてしまう方がいるようです。
風に揺れる木々の影や暗闇に浮かび上がる社殿のシルエットが、昼間とは違う威圧感を与え、何か人知の及ばない存在がいるかのような感覚を覚えさせるのかもしれません。
これは、心霊的な現象が起こるということではなく、歴史ある建造物が持つ独特の威厳が、暗闇という舞台装置の中でより一層際立つために生じる、純粋に物理的・心理的な要因によるものと考えられます。
怖いとされる理由:パワースポットとしての特質

一言主神社は、関東地方でも指折りの強力なパワースポットとして広く知られています。この「パワースポット」としての特質が、一部の人にとって「怖い」という感覚を引き起こす要因となることがあります。
そもそもパワースポットとは、地球のエネルギー(地磁気や大地の気など諸説あります)が集中し、その場にいるだけで心身に良い影響を与えたり、活力を与えたりするとされる神聖な場所のこと。
一言主神社の境内にも樹齢数百年の御神木や、創建の伝説が残る「三岐の竹」の周辺など、特に強いエネルギーが渦巻いているとされる地点が点在しています。
普段から感受性の強い方や、その日の体調が優れない方がこのような場所を訪れると、その強力で清浄なエネルギーに心身が過敏に反応し、一種の拒絶反応のような状態に陥ることがあります。
具体的には、以下のような体験談が聞かれます。
- 突然、体に鳥肌が立つ、悪寒がする
- 空気が重く感じられ、息苦しさや圧迫感を覚える
- めまいや軽い吐き気など、乗り物酔いに似た気分になる
- 手足がビリビリと痺れるような、不思議な感覚に襲われる
これらの感覚は、必ずしもネガティブなものではなく、むしろ「好転反応」の一種と捉えることができます。強力なエネルギーに触れたことで心身に溜まっていた澱みが浄化され、バランスを取り戻そうとする過程で一時的に不調として現れるのです。
しかし、こうした体験に慣れていないと、「何か良くないものがいるのではないか」「この場所は自分に合わないのかもしれない」といった不安や恐怖につながり、結果として「怖い」という印象を強く抱いてしまう。
もしこのような感覚を覚えた場合は、無理をせず参拝を短時間で切り上げたり、体調の良い日に改めて訪れたりすることをおすすめします。
怖いとされる理由:厳格な神格

一言主神社が「怖い」と語られる最も本質的な理由は、御祭神である一言主大神が持つ、他の神様とは一線を画す厳格な神格そのものにあります。
日本神話において、一言主大神は雄略天皇の前に現れ、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」と自ら名乗られました。
この「言い離つ」とは、嘘やごまかしを一切許さず、発した言葉通りの結果を厳密にもたらすという、非常に強力で絶対的な力を象徴。
この神様の性質から、参拝者の心には自ずと「もし中途半端な気持ちでお願い事をしたり、失礼な態度を取ったりすれば、ご利益どころかかえって厳しい結果を招いてしまうのではないか」という、ある種の畏れの気持ちが生まれます。
「何でもお願いを聞いてくれる優しい神様」という一般的なイメージとは異なり、一つの願いに対して参拝者の真摯さや覚悟を厳しく問う、そんな「緊張感」を伴う神様なのです。
このため、参拝者は以下のような、他の神社ではあまり感じることのない心理的なプレッシャーを感じることがあります。
- 数ある願いの中から、本当に大切な「一つ」を選び抜かなければならない
- 曖昧な願いや不純な動機は、神様に見透かされてしまうかもしれない
- 一度お願いしたからには、自分もその実現に向けて最大限の努力をしなければならない
こうした心理的なプレッシャーや緊張感が、「怖い」という言葉で表現されるのです。しかし、これは単なる恐怖心とは全く異なります。日本人が古来から抱いてきた、人知を超えた大いなる存在への深い敬意の念、すなわち「畏敬の念」に他なりません。
この「厳しさ」こそが、真剣な願いには絶大な力で応えてくださるという篤い信頼感につながっており、多くの人々を引きつけているのです。つまり、「怖い」という印象は、一言主神社が比類なき神聖な場所であることの何よりの証左と言えるでしょう。
一言主神社は怖い?:ご利益を得る参拝方法

願いを叶えるにはどうしたらいい

一言主神社で心からの願いを届けるためには、他の神社とは異なる、いくつかの重要な心構えと方法があります。
御祭神の「一言主大神」の性質を深く理解し、それに沿った作法で祈願することが、願いを成就させるための不可欠な鍵となります。
願い事は「一つだけ」に絞り覚悟を決める
最も大切なのは、自分の願い事を「たった一つだけ」に絞り込むこと。一言主大神は、多くの願いを聞き入れるのではなく、「一言の願い」に全ての神徳を集中させてくださる神様だからです。
そのため、健康、仕事、恋愛、家庭など、多くの願いがある中でも、今の自分にとって最も重要で、何としても叶えたいと心から願うことを一つだけ選び抜くプロセスが求められます。
これは、自分自身の内面と深く向き合い、人生の優先順位を明確にする神聖な作業でもあります。
具体的で明確な言葉で伝える
願い事は、できる限り具体的で明確な言葉にして伝えることが望ましいとされています。例えば、「幸せになりたい」や「お金持ちになりたい」といった漠然とした願いは、神様もどう手助けしてよいか分かりにくいかもしれません。
そうではなく、「〇〇の資格試験に合格し、希望する会社へ転職できますように」や「現在の事業を成功させ、家族を安心して支えられるだけの収入を得られますように」といった、はっきりとした目標や情景が浮かぶ言葉で祈願しましょう。
神頼みだけでなく、自らの努力を固く誓う
神社での祈願は、決して他力本願ではありません。神様との「約束」や「契約」に近いものと考えると分かりやすいです。願いを届ける際には、その目標達成のために、自分自身も最大限の努力をすることを心の中で固く誓うことが大切。
「試験合格のために、毎日必ず2時間勉強します」といったように、具体的な行動目標を神様に宣言することで、言行一致を重んじる神様からの力強い後押しが期待できます。
古来の習わし「無言詣り」を試してみる
より強い決意を持って参拝に臨む際には、「無言詣り(むごんまいり)」という古くからの習わしを試してみるのも一つの方法。これは、自宅を出発してから参拝を終えて帰宅するまでの間、一切の言葉を発しないというもの。
言葉の力を司る「言霊の神様」だからこそ、あえて俗世の言葉を慎むことで、心の中で練り上げた純粋な願いのエネルギーがより一層高まると考えられています。
これらの点を深く心に留め、真摯な気持ちで参拝することが、一言主神社で願いを叶えるための最も効果的で誠実な方法と言えるでしょう。
参拝方法

一言主神社でのご利益を最大限にいただくためには、敬意を込めた正しい作法で参拝することが大切。一連の動作にはそれぞれ深い意味があり、それを理解して行うことで、より清らかな心で神様と向き合うことができます。
基本的な流れは他の神社と大きく変わりませんが、一つ一つの所作を丁寧に行うことを心がけましょう。
- 鳥居をくぐる前に一礼:鳥居は、私たちが暮らす俗世と、神様がおられる神聖な領域とを分ける結界の役割を持ちます。
境内に入る前にまずは鳥居の前で一度立ち止まり、これから神域に入らせていただくという気持ちを込めて、深く一礼しましょう。
また、参道の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれ、神様の通り道とされていますので、少し端に寄って歩くのが丁寧な作法。 - 手水舎で心身を清める:参拝の前に、手水舎(てみずしゃ・ちょうずや)で手と口を清めます。これは「禊(みそぎ)」を簡略化したもので、知らず知らずのうちに身についた穢れを祓い、清浄な状態で神様の前に進むための重要な儀式です。
手水の作法- 右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、たっぷりと水を汲んで左手を洗い清めます。
- 次に柄杓を左手に持ち替え、同様に右手を清めます。
- 再び右手に柄杓を持ち、左の手のひらに水を受け、その水で静かに口をすすぎます。柄杓に直接口をつけるのは作法に反します。
- すすぎ終えたら、もう一度左手を水で流します。
- 最後に、柄杓を垂直に立て、残った水で柄(え)の部分を洗い清めてから、元の場所に戻します。
- 拝殿へ進み二礼二拍手一礼で拝礼する:拝殿の前に着いたら、会釈をしてからお賽銭を静かに入れます。お賽銭は神様への日頃の感謝の気持ちを表すものです。
拝礼の作法- 鈴があれば力強く鳴らし、神様にご挨拶します。
- 腰を90度に曲げ、深いお辞儀を2回繰り返します(二礼)。
- 胸の高さで両手を合わせ、右手を少し下にずらして2回手を打ちます(二拍手)。これは神様への敬意を表すためです。
- 拍手の後、ずらした右手を元に戻し、両手を合わせたまま祈ります。この時に、まず心の中で自分の住所と名前を名乗り、日頃の感謝を伝えた後、一つに絞った願い事を明確に伝えます。
- 祈り終えたら静かに手を下ろし、最後に再び深いお辞儀を1回します(一礼)。
形式に囚われること以上に、神様への感謝と敬意を込めて、一連の動作を落ち着いて丁寧に行うことが、何よりも大切な心構えです。
施設案内

一言主神社の広大な境内には、中心となるご本殿や拝殿の他にも、様々なご利益を授けてくださるお社や、神社の長い歴史と自然の力を感じさせる見どころが数多く点在しています。
参拝の際には、ぜひ時間をかけてゆっくりと境内を巡り、神社の持つ多様なエネルギーに触れてみてください。
施設名 | 特徴・ご利益 | 参拝のポイント |
本殿・拝殿 | 1459年に再建された記録が残る、歴史と風格に満ちた社殿。拝殿に施された精緻な彫刻も見事です。 | まずはここで主祭神である一言主大神に真摯にご挨拶し、一言の願いを伝えましょう。 |
三岐の竹(みつまたのたけ) | 神社創建の由来となった、三つ又に分かれて成長する不思議な竹。神社の神聖さを象徴する場所です。 | 神の顕現した場所として、成長や発展、困難を乗り越える力をいただけます。 |
大黒社 | 七福神の一柱、大黒天(大国主命)をお祀りしています。食物や財福を司る、福の神。 | 商売繁盛や金運上昇を願う方は、こちらでも丁寧にお参りすると良いでしょう。 |
縁結び社 | 日本神話で多くの縁を結んだとされる大国主大神をお祀りしています。男女の良縁だけでなく、仕事や友人関係のご縁も結んでくださいます。 | 良いご縁を願うとともに、今あるご縁への感謝を伝えることが大切です。 |
梛(なぎ)の木 | 縁結び社の横に佇む御神木。葉が丈夫でなかなか切れないことから「縁結びの木」とされています。 | 落ちている葉を大切に持ち帰ると良縁に恵まれる、という言い伝えがあります。 |
稲荷社・香取社 | 稲荷社は商工業や福運、香取社は武芸や勝負事、決断力の神様です。 | 仕事での成功や、大切な勝負事を控えている方は、こちらで力強い後押しをいただきましょう。 |
御神木(杉の大木) | 本殿の裏手に天を突くようにそびえ立つ、圧倒的な存在感を放つ杉の木。強力なパワースポットとして知られています。 | 直接木に触れるのは避け、少し離れた場所からその生命エネルギーを感じ取るように心静かに手を合わせるのがおすすめです。 |
霊竹殿(れいちくでん) | 歴代の三岐の竹が神聖なものとして奉安されているお堂。成長と生命力の象徴です。 | 怪我の回復や、お子様の健やかな成長を祈願する方が多く訪れます。 |
御神水 | 境内の地下深くから汲み上げられている清らかなお水です。心身を浄化する力があるとされています。 | 持ち帰ることも可能ですが、飲用する際には安全のために必ず一度煮沸してください。 |
おすすめの授与品
一言主神社では、参拝の証として、また日々の生活を見守っていただくためのお守りとして、様々な授与品をいただくことができます。どれも一言主大神のご神徳が込められた特別な品々。
ご自身の願いに合ったものを選び、大切に扱いましょう。
お守り
多種多様なお守りの中でも、特に一言主神社ならではの特色を持つものをいくつかご紹介します。

- 健康守り(無病息災守り):六色のひょうたんがデザインされた、見た目にも美しいお守りです。
古来よりひょうたんは無病息災の縁起物とされており、六つのひょうたんが人間の内臓(五臓六腑)の健康を守ってくれると言われています。ご自身はもちろん、大切なご家族やご両親への贈り物としても大変喜ばれます。 - 良縁成就守り:恋愛や結婚だけでなく、仕事や友人関係など、あらゆる良縁を結ぶご利益あり。境内にある縁結びの御神木「梛(なぎ)」の葉を特別に使用した、期間限定の縁結び守りが授与されることもあり大変人気。
- ごしゅニャン守り:旅行安全を祈願した御朱印帳につけられるゴムバンド型のお守り。「ごしゅニャンを連れて御朱印の旅へ!」というコンセプトが可愛らしく人気です。
- 桜鈴守り:鈴の音で災厄を祓い福を招く御守り。新しく房が付き、色も三色になったデザインが美しく、持っているだけで心が和みます。
天然石パワーブレスレット

目的別に様々な天然石を使用したブレスレットが用意されています
- 金運:虎目石・タイガーアイ
- 健康運:赤瑪瑙・カーネリアン
- 恋愛運:紅水晶・ローズクオーツ
- 仕事運:トルコ石・ターコイズ
- 開運:黒瑪瑙・オニキス
御朱印

参拝の証としていただける御朱印も、非常に人気があります。社務所で御朱印帳に直接書き入れていただくことができます。
「奉拝」の文字と力強い筆致で書かれた「一言主大神」の神名、そして神社の印が押された御朱印は、参拝の素晴らしい記念となります。初穂料は一般的な金額ですが、事前に公式サイトなどで確認すると良いでしょう。
お守りやおみくじ、御朱印は、神様とのご縁を結ぶ大切な品。授与品は神棚や目線より高い清浄な場所に祀り、一年を目安にお礼参りを兼ねて神社にお返しするのが丁寧な作法とされています。
一言主神社への行きかた

一言主神社は茨城県常総市大塚戸町875に位置しており、都心からのアクセスも比較的良好。公共交通機関と車の両方で訪れることができますので、ご自身の都合に合わせて最適な交通手段を選びましょう。
公共交通機関を利用する場合
電車を利用する場合の最寄り駅は、関東鉄道常総線の「水海道駅(みつかいどうえき)」となります。
- つくばエクスプレス(TX)からの乗り換え:秋葉原方面からTXを利用し「守谷駅」で下車。関東鉄道常総線(水海道・下館方面)に乗り換えて「水海道駅」まで向かいます。
- JR常磐線からの乗り換え:上野・品川方面からJR常磐線を利用し「取手駅」で下車。関東鉄道常総線に乗り換えて「水海道駅」まで向かいます。
▼水海道駅から神社まで
水海道駅から一言主神社までは約7kmの距離があり、路線バスの運行は本数が非常に少ないため、駅前のタクシー乗り場からタクシーを利用するのが最も確実で便利な方法。所要時間は約15分、料金は2,500円~3,000円程度が目安です。
車を利用する場合
高速道路を利用する場合、最寄りのインターチェンジは常磐自動車道の「谷和原IC(やわらインターチェンジ)」。
- 谷和原ICからのルート:IC出口から国道294号線を常総・筑西方面へ北上し、案内看板に従って県道3号線などを経由しておよそ15分ほどで到着します。
カーナビを設定する際は、住所「茨城県常総市大塚戸町875」または電話番号「0297-27-0659」を入力してください。
▼駐車場について
神社には無料で利用できる大規模な駐車場(約400台収容可能)が複数箇所に完備されています。しかし、正月三が日や9月の例大祭、骨董市が開催される毎月第3日曜日などの繁忙期には、昼前から満車になることも珍しくありません。
混雑が予想される時期に車で訪れる際は、午前中の早い時間に到着するか、公共交通機関の利用を検討することをおすすめします。
交通手段 | ルート概要 | 所要時間の目安 | メリット・デメリット |
電車+タクシー | 関東鉄道常総線「水海道駅」下車 | 駅からタクシーで約15分 | メリット: 渋滞の心配がない デメリット: 駅から距離があり、タクシー代がかかる |
車 | 常磐自動車道「谷和原IC」利用 | ICから約15分 | メリット: 自由度が高く、荷物があっても楽 デメリット: 繁忙期は渋滞や駐車場待ちの可能性がある |
まとめ:一言主神社は怖いのか
「一言主神社が怖い」という印象は、いくつかの側面が複合的に絡み合って生まれていると考えられます。決して心霊的な意味合いでの怖さではなく、神社の持つ特別な性質への人々の反応と言えるでしょう。
この記事の最後に、まとめを記しておきます。
- 一言主神社は「一つの願い」を真摯に伝えれば、絶大な力で応えてくれる神様を祀っている。
- 印象の根源は、その力の大きさや、願い事をごまかせない厳格さに対する「畏敬の念」である。
- 夜間は周辺が暗く静かなため、物理的な環境が「怖い」と感じさせる場合がある。
- 関東有数のパワースポットであり、その強力なエネルギーに感受性の強い人が圧倒され、不調を感じてしまうことがある。
- 「願い事を一つに絞る」「失礼があってはならない」というプレッシャーが、心理的な怖さにつながっている側面もある。
- 祀られている一言主大神は、商売繁盛のえびす様としての側面も持ち、多くのご利益を授けてくださる福の神である。
- 願い事は一つに絞り、具体的で明確な言葉で、自らの努力も誓うことで神様に届きやすくなる。
- 参拝は基本の作法を丁寧に行い、何よりも神様への感謝の気持ちを忘れないことが大切だ。
- 境内には御神木や縁結社、大黒社など、多様なエネルギーを持つ見どころが多くある。
- 木の板を割る「一言守り」や六色のひょうたんを持つ「健康守り」など、特徴的な授与品も魅力の一つである。
- アクセスは車が便利ですが、公共交通機関を乗り継いで訪れることも可能。
- 「怖い」という印象は、神社の神聖さと力の裏返しである。
- 参拝のルールとマナーを守り、敬意を持って向き合えば、これほど心強い神社はない。
- 多くの参拝者が、真摯な祈りが届き「願いが叶った」という素晴らしい体験を報告している。
- 結論として、一言主神社は恐れるべき場所ではなく、自らの覚悟を試し、人生を切り拓く力をいただける神聖な場所である。






