諏訪大社は、日本で最も古い神社の一つとして知られ、長野県の諏訪湖周辺に点在する四社から構成されています。
神社巡りが好きな人やスピリチュアルなパワースポットを訪れたい人にとって、行くなら どこがいいんだろうという疑問は尽きないことでしょう。
本記事では、諏訪大社の由緒や祭神を紹介するとともに、四社それぞれの役割と見どころを解説します。
諏訪大社への訪問をお考えの方に有益な情報となりますので、ぜひ最後までご覧ください。
本記事の内容
- 諏訪大社が四社に分かれている理由とそれぞれの特徴
- 祭神である建御名方神の神話やご利益について
- 各社の見どころやおすすめの参拝ルート
- 御柱祭や授与品など、諏訪大社ならではの文化や風習
諏訪大社はどこがいい:それぞれの魅力

諏訪大社とは

諏訪大社は、日本最古の神社の一つとして知られ、長野県諏訪湖の周辺に位置する信仰の中心地。全国に約一万社以上あるとされる諏訪神社の総本社であり、上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)の四社から構成されています。
その歴史は非常に古く、日本書紀や古事記にもその名が記されており、「国譲り神話」に登場する建御名方神(たけみなかたのかみ)を祭神としています。建御名方神は出雲大社の大国主命の子であり、国譲りを拒んで諏訪の地に逃れ、そこに鎮座したと伝えられています。
また、諏訪大社は上社前宮を除き本殿がなく、代わりに山や木といった自然物を神として祀(まつ)る「自然崇拝」の形を今に残しています。上社の御神体は守屋山であり、下社では春宮が杉の木、秋宮がイチイの木を御神木として祀っています。
この特徴は、他の多くの神社と異なる点であり、古代の日本における信仰のあり方を色濃く反映しています。
諏訪大社は「御柱祭」と呼ばれる七年に一度の壮大な神事でも有名。この祭りでは、山から切り出した大木を神社の四隅に立てることで、神の依り代とする儀式が行われます。
全国から多くの観光客が訪れ、勇壮な木落としの場面などが大きな見どころとなっています。この祭りは、単なるイベントではなく、諏訪の地に根付いた信仰と文化が融合した重要な伝統行事です。
諏訪大社の信仰は古くから続いており、歴代の天皇や武将からも崇敬を受けてきました。特に戦国時代には武田信玄が深く信仰し、戦勝祈願を行ったことで知られています。江戸時代には、諏訪藩によって厚く保護され、現在に至るまで地域の人々に愛される存在となっています。
諏訪大社は単なる神社ではなく、日本の歴史と神話、さらには伝統文化を色濃く反映した神聖な場所であり、古くから多くの人々に崇敬されてきました。
御祭神

諏訪大社の主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)であり、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)も共に祀られています。さらに、下社では建御名方神の兄神である八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)もお祀りされており、神々の系譜が古代の神話と密接に結びついています。
建御名方神は、日本神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)の子とされ、父である大国主命が天照大神に国を譲る際に反対したことで、建御雷神(たけみかづちのかみ)との戦いに敗れ、諏訪の地に逃げ延びたと伝えられています。
そこから、諏訪湖のほとりに定住し、この地を統治したことが諏訪大社の起源とされています。
この神話は、単なる伝説ではなく、実際に諏訪地方における古代豪族の支配構造を反映しているとも考えられています。諏訪地方では古くから狩猟文化が根付いており、建御名方神もまた「狩猟の神」として崇拝されてきました。
狩猟だけでなく、農耕や戦勝祈願の神としても信仰され、武田信玄や徳川家康など、多くの武将が戦勝祈願に訪れた歴史があります。
諏訪湖の凍結に伴って発生する「御神渡り(おみわたり)」という現象は、建御名方神が下社の八坂刀売神のもとへ通う道とされています。この伝説が、諏訪湖に現れる自然現象と結びつき、神秘的な信仰の対象となっている点も、諏訪大社の神話の魅力の一つ。
諏訪大社は「風神信仰」とも結びついており、古くから風や水を司る神としても崇められてきました。農業の守護神としての側面も持ち、五穀豊穣を祈る祭祀が行われてきた歴史があります。
そのため、諏訪地方だけでなく、全国各地に諏訪神社が広がり、多くの人々の信仰を集めることとなりました。
このように、諏訪大社の御祭神は単なる神話上の存在ではなく、古代の歴史や地域の文化とも深く関わっており、その信仰の広がりは今もなお多くの人々に受け継がれています。

諏訪大社のご利益

諏訪大社には古くから多くのご利益があるとされ、全国の信者や観光客が訪れます。そのご利益は多岐にわたり、特に「勝負運・戦勝祈願」「五穀豊穣・農業繁栄」「健康長寿・病気平癒」「縁結び・安産祈願」などが挙げられます。
まず、諏訪大社は戦の神として崇敬を集めています。建御名方神は神話において武神としての側面を持ち、戦に敗れて諏訪に逃れたものの、その後も強靭な精神を象徴する神として信仰されてきました。
特に戦国時代には武田信玄や上杉謙信をはじめ、多くの武将が戦勝祈願に訪問。現代においても、スポーツやビジネスでの成功を願う人々が参拝し、勝負運を高める神として信仰を続けています。
農業や漁業の神としての側面も重要です。建御名方神は水や風を司る神とされ、五穀豊穣や漁業の繁栄を願う人々にも厚く信仰されてきました。
諏訪地方は古くから水に恵まれた土地であり、農作物の成長を守る神としての役割を果たしてきました。そのため、現在でも農家や漁業関係者が訪れ、豊作や大漁を祈願する光景が見られます。
健康長寿や病気平癒のご利益も。特に、諏訪大社下社の「万治の石仏」は健康運をもたらすといわれ、訪れた人が石仏の周りを回りながら祈願すると病気が治るとの言い伝えがあります。
また、温泉が湧き出る下諏訪地域と密接に関係しており、身体を癒し、健康を守る神としても信仰されています。
縁結びや安産祈願のご利益も見逃せません。諏訪大社には、建御名方神とその妃である八坂刀売神が祀られており、夫婦神としての信仰があります。
このため、恋愛成就や結婚運を願う人々が多く訪れます。特に、下社の「子安社」は安産や子育ての神として信仰され、妊婦が柄杓を奉納することで安産を願う風習があります。
諏訪大社のご利益は多岐にわたり、古くから多くの人々の生活に深く関わってきました。歴史の中で培われた信仰と伝統が今も息づき、多くの参拝者の願いを受け止める神聖な場所となっています。
本殿がない理由

諏訪大社には、多くの神社とは異なり本殿が存在しません(除上社前宮)。理由は、日本における古代信仰の形式を色濃く残しているから。
日本の神社の多くは本殿を設け、その中に神の依り代(神霊が宿るとされる場所)を祀るという形をとります。しかし、諏訪大社では本殿を持たず、自然そのものを神として崇める「自然崇拝」の形を今に伝えています。
これは、日本古来の神道の形式に基づいており、諏訪地方の人々が古くから自然と共に生き、その恵みに感謝してきた歴史が関係しています。
諏訪大社の上社では、神体山である「守屋山」が神そのものであり、社殿の奥にある山を拝する形になっています。この形式は、日本最古の神社信仰の形を残していると考えられており、山岳信仰の一種とされています。
一方、下社では御神木が神の依り代として祀られています。春宮では杉の木、秋宮ではイチイの木がご神木として崇められ、これらの木々に神が宿るとされています。
本殿を持たない理由に、諏訪大社が持つ独特な祭祀形態も関係しています。特に有名なのが、七年に一度行われる「御柱祭」。この祭りでは、山から切り出した巨大な樹木を神社の四隅に建てることで、神の依り代とする伝統的な儀式が行われます。
これは、本殿を設けずに自然と一体化した神の存在を表す象徴的な行為であり、諏訪信仰の根幹を成しています。
諏訪大社の祭祀には「大祝(おおほうり)」という特別な神職が関わっていました。大祝は神の生まれ変わり(現人神)とされ、神と人との橋渡し役を担っていた存在。
古代においては、この大祝が神そのものであり、本殿を必要としない祭祀形態が確立されていたのです。この独自の信仰体系が、現在も諏訪大社に本殿がない理由の一つとされています。
本殿がないことは、諏訪大社が神道の原初的な形を今に伝える貴重な存在であることを示しています。山や木といった自然そのものを神として祀る信仰は、日本古来のアニミズム(自然崇拝)の影響を色濃く残しており、現代においても多くの人々がその神秘的な魅力に引かれ、訪れる神社の一つとなっています。
四社に分かれている理由
諏訪大社が四社(上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮)に分かれている理由は、単なる行政的な分割ではなく、歴史的・宗教的な背景に根ざしています。その理由を紐解くことで、諏訪大社の信仰の独自性と、日本の神道における特異な位置づけが明らかになります。
諏訪の自然崇拝と四社の成立
諏訪大社が四社に分かれている最大の理由は、古代における自然崇拝の影響。諏訪地方は山岳信仰や水神信仰が根付いていた地域であり、特に上社では「守屋山(もりやさん)」を御神体として崇拝する信仰が今も残っています。
これは本殿を持たない神社の形式であり、自然そのものを神として祀る信仰の形です。
一方、下社では「春宮の杉」「秋宮のイチイ」といった御神木が神の依り代として祀られており、自然の中に神が宿るという考え方が色濃く反映されています。
このように、諏訪大社の四社はそれぞれ異なる自然信仰を受け継いでおり、それが現在の四社制へと発展した要因の一つです。
歴史的な経緯による四社の分立
諏訪大社の四社体制は、単に信仰の形態だけでなく、歴史の流れによっても形成されました。古くは、上社が諏訪の中心的な祭祀を担っていましたが、時代とともに勢力が変化し、下社が独立した役割を持つようになりました。
特に、平安時代から鎌倉時代にかけて、諏訪地方では「大祝(おおほうり)」と呼ばれる神職が世襲制で神事を執り行っており、その統治の仕組みが四社の分立に影響を与えたとされています。
大祝の住む地域や、祭祀を執り行う場所が変遷したことで、神社の役割が分かれ、現在の四社制へと発展していったのです。
また、戦国時代には武田信玄が諏訪大社を篤く信仰し、神事に関与した記録も残っています。この時代、諏訪大社の祭政は武士階級とも結びつき、政治的な影響も受けながら現在の四社の形へと定着していきました。
神々の遷座と四社の役割分担
諏訪大社の四社は、それぞれ異なる役割を持っています。特に下社(春宮・秋宮)は、神様が定期的に遷座することで知られています。
下社の春宮と秋宮では、半年ごとに「遷座祭(せんざさい)」が行われ、神様が春宮から秋宮へ、秋宮から春宮へと移動します。
これは、諏訪地方に伝わる「御神渡り(おみわたり)」の神話とも関係があり、建御名方神(たけみなかたのかみ)が諏訪湖を渡り、妃神のもとへ通う道を象徴しているとも言われています。
一方で、上社(前宮・本宮)は諏訪の信仰の中心地であり、古くからの祭祀が今もなお続けられています。前宮は、諏訪信仰の発祥の地とも言われ、神の降臨地として神聖視されてきました。
本宮は、その後の信仰の中心地として発展し、現在では最も規模の大きな社殿を有しています。
このように、諏訪大社が四社に分かれているのは、神々の宿る場所が複数存在すること、また、それぞれの社が異なる神事や役割を持つことで、古くからの伝統を継承しているためなのです。
諏訪大社が四社に分かれている理由は、単なる分割ではなく、自然崇拝や歴史的な経緯、そして神々の遷座という独自の信仰に基づいています。それぞれの社が持つ役割と神事の意味を知ることで、より深く諏訪大社の信仰の本質に触れることができます。
諏訪大社を巡る際には、これらの背景を踏まえながら各社を訪れることで、より豊かな参拝体験を得られるでしょう。
上社本宮の見どころ

諏訪大社の四社の中で最も格式が高いとされる上社本宮は、長野県諏訪市中洲に位置し、信仰の中心として古くから多くの参拝者を集めています。上社本宮の見どころは、その荘厳な社殿と歴史ある建築、そして自然と一体化した神聖な境内にあります。
本宮の拝殿は、日本独特の神社建築である「諏訪造り」の代表的な例であり、拝殿と幣拝殿が連なる独特の構造を持っています。
これは他の神社とは異なり、諏訪大社ならではの特徴。本宮には本殿がなく、御神体として守屋山を拝する形式が取られています。このため、境内からも守屋山を望むことができ、自然崇拝の形態を今に伝えています。
境内には「御柱(おんばしら)」が四隅に立てられており、これは七年に一度行われる「御柱祭」で新しく立て替えられるもの。高さ約17メートルにも及ぶ御柱は、山から切り出され、氏子たちの手によって運ばれるという勇壮な祭りの象徴となっています。
本宮の神楽殿は、神事や舞楽が奉納される重要な場所であり、ここでは年中さまざまな祭事が執り行われます。特に「御頭祭(おんとうさい)」は有名で、鹿の頭を供える特殊な神事が行われます。この祭りは、狩猟文化の名残を伝える貴重な儀式として知られています。
境内には、力石と呼ばれる巨石や、神秘的な「水眼(すいが)の清流」などがあり、古くからの信仰の対象。水眼の清流は、諏訪湖とつながる神聖な水源とされ、訪れる人々に清めの力を与えるとされています。
このように、上社本宮は単なる観光地ではなく、古来から続く信仰と伝統を色濃く残す場所。訪れることで、諏訪大社の歴史や文化に触れることができるでしょう。
上社前宮の見どころ

上社前宮は、諏訪大社四社の中でも最も古い歴史を持つとされ、「諏訪信仰発祥の地」として知られています。長野県茅野市に位置し、諏訪湖の東側にあるこの神社は、周囲の自然と調和した静寂な雰囲気が特徴。
前宮の最大の特徴は、その「神原(ごうばら)」と呼ばれる広大な境内。かつて諏訪大神が最初に降臨された場所と伝えられており、大祝(おおほうり)と呼ばれる神職の居館があったとされています。
神原の広場は、諏訪信仰の中心地として数々の祭事が行われた場所であり、現在もその神聖な雰囲気を感じることができます。
前宮の拝殿は、昭和時代に伊勢神宮から下賜された御用材を用いて建てられたもので、厳かな雰囲気が漂います。本殿の奥には「内御玉殿(うちみたまでん)」があり、御神宝が安置されていたとされています。
かつては、大祝が神として即位する神事がここで行われていたと言われており、諏訪信仰における重要な役割を担っています。
境内には「鶏冠社(けいかんしゃ)」と呼ばれる小さな社があり、これは大祝の即位の儀式が執り行われた神聖な場所。諏訪の神職は代々、特別な儀式を経て神に仕える存在となるため、この社にはその儀式の名残が色濃く残されています。
前宮のもう一つの見どころとして、「十間廊(じっけんろう)」があります。これは、かつて大祝や神職たちが祭事を執り行う場として用いられていた建物で、現在も一部が残されています。
特に「御頭祭(おんとうさい)」の際には、この十間廊で神事が行われるため、諏訪大社の歴史を学ぶ上で重要なポイントとなります。
前宮の境内には「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる湧水があり、これは諏訪大社の神聖な水とされています。この水は古くから神事に用いられ、現在も訪れる人々が手を清めたり、持ち帰ることができる場所となっています。
前宮は、他の三社と比べて観光客が少なく、静かに諏訪信仰の歴史を感じることができる場所。豊かな自然に囲まれ、古代の神話と現代が交差するこの神聖な地を訪れれば、諏訪大社の起源を肌で感じることができるでしょう。
下社春宮の見どころ

諏訪大社下社春宮は、諏訪湖の北側に位置し、歴史的にも重要な神社。春宮は下社の二社のうち、最初に鎮座したと伝えられており、現在も春の時期に神事が執り行われる場所として多くの参拝者を迎えています。
境内は豊かな自然に囲まれ、荘厳な雰囲気を持つ神域となっています。ここでは、特に注目すべき見どころを紹介します。
春宮の幣拝殿(へいはいでん)と片拝殿(かたはいでん)は、江戸時代に建造された貴重な建築物であり、国の重要文化財に指定されています。
幣拝殿は神事を行う場所で、荘厳な造りが特徴。また、片拝殿は拝礼のために設けられたもので、左右対称の配置が美しく、職人の高度な技術を感じられます。
春宮で特に注目したいのが、筒粥殿(つつがゆでん)です。この建物は、毎年1月14日から15日にかけて行われる「筒粥神事(つつがゆしんじ)」のために設けられました。
筒粥神事とは、米と小豆を炊き込み、その中に葦の筒を入れて、一晩かけて粥を炊きます。翌朝、その筒の中に入った粥の量によって、その年の作物の豊凶を占う神聖な儀式。この神事は、農作物の実りを予測するための伝統行事であり、全国的にも珍しいものです。
境内には、「結びの杉」と呼ばれる御神木が立っています。この杉は、地上10メートルほどの高さで二股に分かれていることから、縁結びや夫婦円満のご利益があるとされ、古くから信仰を集めています。参拝者はこの杉の幹に触れることで、良縁や家庭の安泰を願うことができます。
春宮の西側には砥川(とがわ)が流れており、その中央に「浮島」と呼ばれる小さな島があります。古くからこの島は「どんなに大水が出ても決して流されない」と伝えられ、諏訪大社の「七不思議」の一つ。島の上には小さな社があり、神秘的な雰囲気が漂います。
春宮から徒歩数分の場所には、「万治の石仏」という特異な形状をした石仏が鎮座。この石仏は、1659年(万治2年)に建立されたとされ、頭部が平たい石の上に乗ったユニークな姿をしています。地元では、石仏の周りを時計回りに三周して祈ると願いが叶うという言い伝えがあり、多くの参拝者が訪れます。
下社秋宮の見どころ

諏訪大社下社秋宮は、下社春宮と並ぶ重要な神社であり、下諏訪宿の中心地に鎮座しています。秋宮は旧中山道と甲州道中(現在の甲州街道)が交差する場所に位置し、江戸時代には多くの旅人や武士が参拝したことでも知られています。
秋宮の幣拝殿は、1781年(安永10年)に建てられたもので、江戸時代の宮大工、立川和四郎富棟によって造営されました。その繊細な木彫りの彫刻は見事で、特に拝殿内部の「竹に鶴」の彫刻は、立川流の傑作とされています。
幣拝殿の隣には大きな神楽殿があり、ここでは神楽や祭事が行われます。神楽殿の大注連縄(おおしめなわ)は、長さ13メートル、重さ500キロ以上にもなり、諏訪大社の格式の高さを感じさせます。
境内には、「寝入りの杉」と呼ばれる巨木があります。この杉は樹齢約800年とされ、枝が垂れ下がる姿がまるで眠っているように見えることから、この名がつけられました。
この杉には夜泣きを鎮めるご利益があるとされ、杉の皮を削り、お守りにすると夜泣き封じになるという言い伝えもあります。
秋宮の入口には、青銅製の大きな狛犬が設置されています。この狛犬は日本最大級の青銅製狛犬であり、高さは約1.7メートルもあります。
昭和35年に地元の彫刻家・清水多嘉示氏によって制作され、秋宮のシンボル的存在。狛犬の表情や造形美にも注目して参拝すると、より深くその魅力を感じることができます。
秋宮の境内には、手水舎(ちょうずや)に温泉が湧き出ているという珍しい光景が。通常、手水舎の水は冷たいのが一般的ですが、ここでは下諏訪温泉の源泉を利用しているため、手を浸すと温かいのが特徴。
この温泉は古くから神聖なものとされ、旅人が身を清める場所として利用されてきました。
秋宮には宝物殿が併設されており、そこには平安時代の重要文化財「売神祝之印(めがみほうりのいん)」をはじめ、武田信玄や松平忠輝が奉納した品々を展示。
特に「売神祝之印」は、平城天皇から授けられたと伝えられ、諏訪大社の歴史を象徴する貴重な文化財の一つです。
下社春宮と秋宮は、それぞれに異なる特徴と魅力を持っています。春宮は自然に囲まれた静謐な神域であり、農耕の神事や神秘的な伝説に彩られています。
一方、秋宮は交通の要所に位置し、豪華な社殿や文化財が多く、歴史的な価値も高い神社。どちらも訪れることで、諏訪大社の奥深い魅力をより深く知ることができるでしょう。
諏訪大社はどこがいい:訪問のアドバイス

おすすめのルート

諏訪大社を全て巡る際の最適なルートは、上社(前宮・本宮)から下社(春宮・秋宮)へと進む順番。これは、諏訪大社の歴史的背景や御祭神の由来を考慮した順番であり、より深く神社の成り立ちを感じられる方法だからです。
まず、最初に訪れるべきは 上社前宮(かみしゃ まえみや) 。前宮は、建御名方神が最初に鎮座したとされる「諏訪信仰発祥の地」と伝えられ、豊富な湧水や歴史的な神事の遺跡が残る神聖な場所。ここでは、古代からの信仰の形を実感できるでしょう。
次に向かうのは 上社本宮(かみしゃ ほんみや)。本宮は、諏訪大社の中心的な存在であり、諏訪信仰の象徴ともいえる御柱(おんばしら)が立つ重要な場所。
広大な境内には歴史的な建造物が多く、武田信玄をはじめとする戦国武将が戦勝祈願をした神社としても有名です。
上社を参拝した後は、諏訪湖を挟んで 下社春宮(しもしゃ はるみや) へと向かいます。春宮は、諏訪大社下社の最初の鎮座地とされ、静かで神秘的な雰囲気が漂います。
特に1月14日に行われる「筒粥神事(つつがゆしんじ)」は、五穀豊穣を占う伝統行事として有名。
そして最後に 下社秋宮(しもしゃ あきみや) を。秋宮は、現在の下社の主祭場としての役割を担い、華やかな装飾や彫刻が施された社殿が特徴的です。
また、境内には温泉が湧き出る手水舎があり、諏訪大社独自の文化を体験できます。
この順番で巡ることで、諏訪大社の歴史や神話の流れを自然に理解しながら参拝することができます。また、移動の利便性を考えても効率的なルートとなっています。
一つだけ訪れるならどこがいい

諏訪大社の四社のうち、一か所だけ訪れるなら 上社本宮 をおすすめします。なぜなら、本宮は諏訪大社全体の中心的な存在であり、神社の持つ歴史や文化、建築の魅力を最も感じられる場所だから。
上社本宮は、諏訪大社の中で最も広大な境内を持ち、歴史的に重要な神事や祭りが多く行われる神社。特に、七年に一度開催される「御柱祭(おんばしらさい)」の際には、巨大な御柱が境内に立てられ、迫力ある伝統行事を間近で体感できます。
また、諏訪信仰の根幹を成す「御神体山(守屋山)」を仰ぎ見ることができるため、古代からの自然崇拝の姿を強く感じられます。
本宮には本殿が存在せず、代わりに自然そのものを神とする信仰の形が残っています。これは日本の神道の原型に近く、多くの神社とは異なる特徴を持っています。そのため、初めて諏訪大社を訪れる人にとっては非常に印象的な体験となるでしょう。
また、本宮は長野県内外からのアクセスが比較的良く、電車や車を利用して訪れやすい立地にあります。周辺には観光スポットや温泉施設も充実しており、観光と合わせて楽しむことができます。
一方で、静かに諏訪大社の雰囲気を味わいたい人には 下社春宮 もおすすめ。春宮は四社の中でも最も落ち着いた雰囲気を持ち、訪れる人も比較的少ないため、ゆっくりと参拝を楽しめます。
境内には「結びの杉」と呼ばれる縁結びのご神木があり、恋愛や人間関係のご縁を願う人に人気があります。
このように、訪れる目的によっておすすめの社は変わりますが、諏訪大社の壮大な歴史と文化を体験するなら、まずは上社本宮を訪れるのが最適でしょう。
授与品とお守り

諏訪大社では、多くの授与品やお守りが頒布されており、それぞれに特別な意味やご利益があります。諏訪信仰に基づいた独自のデザインや素材を用いたお守りが多く、全国から訪れる参拝者に人気があります。
ここでは、諏訪大社の代表的な授与品とその魅力について紹介します。
1. 諏訪大社の定番お守り
諏訪大社には、一般的な健康・厄除け・交通安全・学業成就などの定番のお守りがありますが、その中でも特徴的なのが「勝守(かちまもり)」。
諏訪大社のご祭神である建御名方神は戦の神として崇敬されており、武運長久を願うお守りとして多くの武将やスポーツ選手が身につけています。
2. 災難除け向上の「薙鎌守(なぎがままもり)」
諏訪大社のお守りの中でも特に珍しいのが「薙鎌守」。薙鎌は鶏のトサカのような形をしており、諏訪神の信州開拓の象徴とされています。また、「なぎ」が「凪ぐ」に通じることから風雨鎮護、諸難薙ぎ祓うの意味ともいわれています。
3. 健康安全の加護「御柱お守り」
「御柱守」は、前々回の御柱を用いて奉製されたお守。 健康や安全にご利益があり、御柱祭に参加する氏子たちは首にこのお守をかけています。
素朴な木札で断面から木っ端であることがわかる、祭りで売っている御柱グッズとは比較にならないほど貴重なもの。
4. 縁結びの「むすび守り」
良縁や人との縁、良き仕事との縁が結ばれるようご祈願されたお守りです。
5. 御朱印帳と木札
諏訪大社の御朱印帳は、伝統的なデザインで人気があり、神紋である「梶の葉」があしらわれています。また、木製の護符である木札も授与されており、自宅や職場の守護として用いられます。
諏訪大社の授与品やお守りは、それぞれの神徳を反映したものが多く、信仰の深さを感じられるものばかりです。参拝の際には、自分に合ったお守りを選び、そのご加護を受けてみてはいかがでしょうか。
御柱祭とは

御柱祭(おんばしらさい)は、諏訪大社で7年ごとに行われる大規模な祭典で、日本全国でも類を見ない勇壮な神事として知られています。
この祭りは、長野県の諏訪地域を中心に行われ、上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の各神社に計16本の巨大な柱を建てることで、神の降臨を迎え入れる重要な儀式とされています。
具体的には、山から切り出された樹齢150年以上のモミの木が「御柱」として選ばれ、これを人々の手で運び、境内の四隅に立てるのです。
御柱祭の最大の見どころは、「木落し」と「川越し」と呼ばれる危険かつ壮大な神事。木落しは、山から切り出した巨木を急斜面から一気に滑り落とすもので、数十人の氏子たちが柱にまたがりながら制御する姿は圧巻。
続く川越しでは、川を越えて柱を運ぶ場面が見られ、その過程で多くの参加者が団結しながら進めていきます。これらの神事は、見る者にとって迫力満点であり、参加する者にとっても一生に一度の経験となるほどの重要な儀式。
御柱祭は、単なる観光イベントではなく、地域住民の信仰と誇りをかけた祭典です。その起源は1000年以上前にも遡り、古くから自然崇拝の儀式として執り行われてきました。
この祭りが持つ意味は、神々への敬意と感謝、そして地域社会の結束を象徴しており、諏訪地方に住む人々にとって非常に大切な行事となっています。
この壮大な祭典は、日本国内のみならず海外からの観光客にも大変な人気。御柱祭が行われる年には、長野県全体が大いに賑わい、宿泊施設や交通機関が混雑するため、訪れる際は事前に計画を立てることが重要です。
祭りを間近で体験したい方は、地元のボランティアとして参加することも可能であり、地域の人々と共に歴史的な儀式を支える貴重な機会となるでしょう。次回の開催は2028年です。
諏訪大社への行きかた

諏訪大社へ訪れるには、長野県の諏訪地域にアクセスする必要があります。諏訪大社は上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)に分かれており、それぞれの社への行きかたが若干異なります。
公共交通機関を利用する方法と、自家用車でアクセスする方法の両方について解説します。
【電車でのアクセス】
東京・名古屋方面から諏訪大社へ行く場合は、JR中央本線が便利。東京からは新宿駅から特急「あずさ」に乗車し、約2時間で上諏訪駅に到着。
名古屋方面からは特急「しなの」に乗り、塩尻駅で中央本線に乗り換えて上諏訪駅へ向かうルートが一般的です。
上社本宮・前宮へ行く場合、最寄り駅はJR中央本線「茅野駅」。茅野駅からはタクシーまたは路線バスを利用すると10〜15分ほどで到着します。
特に前宮は少し奥まった場所にあるため、徒歩で向かう場合は事前に地図を確認しておくと安心です。
下社春宮・秋宮へ行く場合の最寄り駅は、JR中央本線「下諏訪駅」。駅から春宮へは徒歩で約10分、秋宮へは徒歩15分程度で到着できます。
下社の2つの宮は比較的近くにあるため、徒歩での移動が可能ですが、時間を有効に使いたい場合はレンタサイクルを利用するのもおすすめ。
【車でのアクセス】
自家用車で訪れる場合、中央自動車道の「諏訪IC」または「岡谷IC」を利用すると便利。東京方面からは中央自動車道を利用し、諏訪ICで降りると上社本宮や前宮にアクセスしやすくなります。
名古屋方面から来る場合も、岡谷ICを利用するとスムーズに下社春宮・秋宮へ向かうことができます。
駐車場は各社ごとに用意されていますが、観光シーズンや御柱祭の時期は大変混雑するため、早めの到着を心掛けるか、公共交通機関との併用を検討すると良いでしょう。
また、周辺の観光スポットを巡る場合、レンタカーを利用すると時間を効率的に使うことができます。
【バス・タクシーの利用】
諏訪大社の各社は距離が離れているため、すべてを徒歩で回るのは難しいこともあります。そのため、バスやタクシーを活用すると移動がスムーズになります。
諏訪市や下諏訪町では、主要な観光地を結ぶ路線バスが運行しており、上社・下社間の移動にも利用可能。特に、観光客向けの「かりんちゃんバス」は便利で、リーズナブルな料金で各社を巡ることができます。
タクシーは駅前に待機していることが多く、特に上社前宮へのアクセスにはタクシーを利用するのが効率的です。グループで訪れる場合、タクシーをシェアすると経済的にもお得になります。
【その他の注意点】
諏訪大社を訪れる際は、季節によって気温差が大きいため服装に注意が必要です。冬季は雪が降ることもあるため、防寒具の用意を忘れずに。
御柱祭などの祭事が開催される年には、道路の混雑や駐車場不足が予想されるため、事前に最新の情報をチェックし、計画的に訪れることをおすすめします。
諏訪大社は、豊かな歴史と文化を感じられる神社です。アクセス方法をしっかり確認し、快適な旅を楽しんでください。
まとめ:諏訪大社はどこがいい?それぞれの魅力と見どころ
- 諏訪大社は日本最古級の神社で、長野県の諏訪湖周辺に四社が点在する
- 全国の諏訪神社の総本社であり、上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)から成る
- 本殿を持たず、山や御神木を神として祀る「自然崇拝」の形態を今に伝えている
- 建御名方神を主祭神とし、神話の「国譲り」に深く関わる神社である
- 七年に一度の「御柱祭」は、巨大な柱を山から運ぶ勇壮な神事として有名だ
- 諏訪大社には「勝負運・五穀豊穣・健康長寿・縁結び」などのご利益がある
- 上社本宮は最も格式が高く、歴史的建造物や「御柱」などの見どころが豊富
- 上社前宮は「諏訪信仰発祥の地」とされ、湧水が流れる神秘的な雰囲気がある
- 下社春宮は静かな神域で「筒粥神事」など農業神事が行われる
- 下社秋宮は彫刻が美しい社殿や、温泉が湧き出る手水舎が特徴的
- 諏訪湖の「御神渡り」は神が湖を渡る道とされ、信仰と自然現象が結びついている
- 歴代の武将、特に武田信玄や徳川家康が戦勝祈願に訪れた神社としても知られる
- 諏訪大社の授与品には「勝守」や「御柱守」など、特色あるお守りが揃う
- アクセスは電車・車ともに便利で、特に上社は茅野駅、下社は下諏訪駅が最寄り
- 四社すべて巡るなら、上社(前宮→本宮)→下社(春宮→秋宮)の順が最適である







