諏訪大社は日本最古の歴史を持つ神社として知られ、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の四社から構成されるという非常に珍しく、自然崇拝の色が濃い神社でもあります。
諏訪大社というこの大きな神社には、いったい なんの神様が祀られているのでしょうか。参拝することでどんなご利益が期待できるのでしょうか。
本記事では、諏訪大社の神様に関する詳しい情報や、四社の違い、ご利益、アクセス方法などを分かりやすく解説します。
諏訪大社への参拝を考えている方や、歴史や神話に興味のある方は、ぜひ最後までご覧ください。
本記事の内容
- 諏訪大社に祀られている神々の名前や役割
- 武神・水神・農耕の神としての諏訪大社の性格
- 諏訪大社の四社の違いやそれぞれの特徴
- 参拝時に得られるご利益やアクセス情報
諏訪大社はなんの神様?:ご祭神とご利益

諏訪大社とは

諏訪大社は、最も古い神社の一つとして知られ、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。長野県諏訪地方に鎮座し、「上社(本宮・前宮)」と「下社(春宮・秋宮)」の計四社から成り立っています。
その歴史は古く、『古事記』や『日本書紀』にも記述が見られ、2000年以上の歴史があるとされています。
この神社の最大の特徴は、自然崇拝の要素が色濃く残っていること。他の多くの神社では本殿を持ち、そこにご神体を祀(まつ)りますが、諏訪大社には上社前宮を除いて本殿がありません。
代わりに、神体山である守屋山や、社殿の四隅に立つ御柱(おんばしら)を神聖視しており、自然そのものを信仰対象としています。このような信仰形態は、古代から続く日本の原始宗教の形態を色濃く残しているといわれています。
また、諏訪大社は日本屈指の武神を祀る神社としても有名。戦国時代には、名だたる武将たちが勝利祈願のために訪れました。特に武田信玄は諏訪大社を厚く信仰しており、戦の前には必ず参拝したといわれています。
これにより、武運長久や必勝祈願のご利益があるとされ、多くの人々が訪れます。
諏訪大社を語るうえで欠かせないのが「御柱祭」。これは7年ごとに開催される伝統的な祭りで、山から切り出した直径1メートル以上、長さ17メートルにもなる巨大なモミの木を、各社殿の四隅に立てる神事。
御柱を人力だけで山から曳き、急斜面を滑り落とす「木落し」などの迫力ある儀式は、日本三大奇祭の一つに数えられ、全国から多くの観光客が訪れます。
諏訪大社は日本の歴史、自然崇拝、武神信仰、祭り文化が色濃く残る、非常に独自性の高い神社です。そのため、信仰の対象としてだけでなく、歴史や文化を学ぶ場としても多くの人々に親しまれています。
なんの神様か

諏訪大社の主祭神は、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」。建御名方神は、古代日本の神話に登場する神で、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子とされています。
神話によると、国譲りの際に大国主命が天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲ることを決めましたが、それに異を唱えた建御名方神は、武神として高天原から派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)と戦うことになります。
しかし、戦いに敗れ、諏訪の地に逃げ込んだとされています。その後、建御名方神は「二度とこの地から出ない」という条件で許され、諏訪の地で信仰の対象となったといわれています。
また、建御名方神の妻神として「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」も祀られています。八坂刀売神は農耕や水の神として信仰されており、夫婦神としての性格を持ち合わせています。そのため、諏訪大社では縁結びや家庭円満のご利益があるともいわれています。
下社では、さらに「八重事代主神(やえことしろぬしかみ)」が祀られています。事代主神は、出雲系の神であり、大国主命の子とされる神。
事代主神は、釣りをしているときに国譲りの話を聞き、それを受け入れた神として知られています。このため、海や漁業の神としても信仰されており、諏訪大社では商売繁盛や開運のご利益があるとされています。
諏訪大社の御祭神は、武神・水の神・農耕の神・商売繁盛の神と、多岐にわたるご利益を持つ神々が祀られています。それぞれの神がどのような役割を担っているのかを理解し参拝することで、より深い信仰心を持つことができるでしょう。
ご利益

諏訪大社は、日本最古の神社の一つとして知られ、その歴史の長さや神話的背景から、さまざまなご利益があると信じられています。信仰の対象となる神々の性格や伝承を紐解くことで、具体的にどのようなご利益が期待できるのかを見ていきましょう。
まず、諏訪大社の主祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)は、武勇の神として広く信仰されています。古くは戦国武将たちが勝利を祈願するために訪れた神社であり、特に戦国時代には武田信玄が厚く崇敬していたことが記録に残っています。
そのため、スポーツや競技における勝負運、またビジネスでの成功祈願に多くの人が参拝に訪れます。
諏訪大社には「水の神」としての側面も。諏訪湖のほとりに鎮座し、水と深い関わりがあるため、古くから雨乞いや豊作祈願の場としても利用されてきました。
そのため、農業関係者や漁業関係者からも厚い信仰を集めています。さらに、水は浄化の象徴でもあり、心身の清めや厄除けのご利益を求める人々も多く訪れます。
建御名方神の妻神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)は、縁結びや家内安全の神としても信仰されています。
そのため、恋愛運の向上や夫婦円満を願う参拝者も少なくありません。諏訪大社の「四社めぐり」を行うことで、より強いご利益を得られるともいわれています。
健康面に関しても、諏訪大社は特別な力を持つとされています。とくに、諏訪地方には「ゼロ磁場」と呼ばれる特別なエネルギースポットが存在するとされ、参拝することで気の流れが整い、心身のバランスが取れると信じられています。
これはスピリチュアルな観点からも非常に注目されており、癒しや再生を求める人々が訪れます。
最後に、諏訪大社には商売繁盛のご利益も。これは、建御名方神が国譲りの神話に登場し、商業や経済の繁栄とも関連があるため。そのため、地元の商売人や企業経営者が参拝し、商売繁盛や事業の成功を祈る姿も多く見られます。
このように、諏訪大社のご利益は非常に多岐にわたり、武運長久、勝負運、縁結び、厄除け、健康祈願、商売繁盛など、さまざまな願いを持つ人々にとって、訪れる価値のある神社であることがわかります。
諏訪大社の神事

諏訪大社には、年間を通じて200以上もの神事が執り行われています。これは全国の神社の中でも特に多く、信仰の厚さを示す証でもあります。諏訪大社の神事は、古来より続く伝統的なものが多く、地域社会と深く結びついた重要な行事として知られています。
代表的な神事として挙げられるのが「御柱祭(おんばしらさい)」。これは7年に一度行われる諏訪大社最大の祭典で、山中から巨木を切り出し、それを人々の手によって神社の境内へと曳き、社殿の四隅に建てるという壮大な儀式。
特に「木落し」と呼ばれる、急斜面を巨木が滑り落ちる場面は圧巻であり、多くの観光客が訪れる一大イベントとなっています。(次回の開催は2028年)。
「御頭祭(おんとうさい)」も諏訪大社の特色ある神事の一つ。古くは75頭分の鹿の頭を神前に供えたとされ、現在では象徴的に再現される形で行われています。
この祭りは、諏訪大社の狩猟文化や農耕文化との深い関わりを示しており、自然との共生を祈願する儀式として続いています。
さらに、「筒粥神事(つつがゆしんじ)」という珍しい占いの神事もあります。これは、毎年1月15日に下社春宮で行われる神事で、大釜に米と小豆、そしてアシの茎を入れ、一晩煮込むことで、その年の農作物の豊凶を占うというもの。
占いの結果は「神占正に誤りなし」とされ、地元の農家にとっては非常に重要な予兆となります。
そのほか、毎月の月次祭や、神様が春宮から秋宮へと遷座する「遷座祭(せんざさい)」、五穀豊穣を祈る「新嘗祭(にいなめさい)」など、諏訪大社では実に多くの神事が執り行われています。
これらの神事は、神社と地域の人々を結びつける役割を果たし、古来からの信仰を現在に伝える大切なものなのです。
諏訪大社は「諏訪信仰」と呼ばれる独自の神道体系を持ち、その神事には独特の習慣や作法が見られます。例えば、一般的な神社とは異なり、諏訪大社には本殿が存在しません(注:上社前宮を除く)。
これは、御神体が諏訪湖や周辺の山々とされているためであり、自然崇拝の色合いが非常に強いことを示すもの。
諏訪大社の神事は、神と人々のつながりを深めるための重要な儀式であり、訪れる人々にとっても貴重な体験となるでしょう。
機会があれば、これらの神事が行われる時期に訪れ、実際の儀式の雰囲気を感じてみるのもおすすめです。
諏訪大社を信仰した武人

諏訪大社は、古来より武神としての性格を持ちあわせています。そのため、戦国時代を中心に数多くの武将たちが戦勝祈願を行い、神の加護を求めてきました。
武田信玄
戦国時代に諏訪大社を最も崇敬した武将の一人として、武田信玄が挙げられます。武田信玄は甲斐の国(現在の山梨県)を拠点とし、信濃(長野県)への進出を目指していました。
諏訪地方は重要な戦略拠点となり、諏訪大社を信仰することが地域の統治にも大きな意味を持ちました。
信玄は1542年に諏訪氏を討伐し、諏訪地方を支配下に置きましたが、その際、諏訪大社を手厚く保護。また、戦に臨む際には、必ず諏訪大社に参拝し戦勝祈願を行っていたと伝えられています。
さらには、軍旗として「諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)」と呼ばれる兜を使用し、戦場でも諏訪明神の加護を得ようとしていたことが知られています。
上杉謙信
武田信玄のライバルであった上杉謙信も、実は諏訪大社を信仰していた武将の一人。越後(現在の新潟県)を本拠とした謙信は、軍神として知られた毘沙門天を厚く信仰していましたが、戦の際には諏訪大社にも戦勝祈願を行ったとされています。
特に、川中島の戦いでは、諏訪大社を介して「風林火山」の旗を掲げた武田軍と対峙することに。謙信は、諏訪大社がもつ風神・水神の性格にも注目し、自軍の勝利を祈願したと伝えられています。
織田信長
戦国時代末期になると、天下統一を目指した織田信長も諏訪大社に関心を寄せました。信長は各地の有力な神社仏閣を保護する政策を取りつつも、自らの権力を確立するためにそれらの信仰を利用していました。
1575年、長篠の戦いで武田勝頼を撃破した後、信長は信濃一帯の統治に乗り出します。その際、諏訪大社に対しても一定の崇敬を示したとされ、家臣を通じて保護の意向を示したといわれています。
ただし、信長自身が積極的に参拝した記録は残っていません。
徳川家康
戦国時代が終わり、江戸幕府が成立すると、徳川家康もまた諏訪大社に対して深い敬意を払いました。家康は戦国時代を生き抜くために各地の神仏を信仰していましたが、特に軍事的な神として諏訪明神を重視していました。
1600年の関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた後、家康は諏訪大社の社領を安堵し、社殿の修繕や神事の保護を実行。
さらに、徳川家の将軍たちは代々、諏訪大社を庇護し続けたことから、江戸時代を通じて諏訪信仰はさらに広がっていきました。
真田家
戦国時代に名を馳せたもう一つの一族が、真田家。真田昌幸やその息子・真田幸村もまた、諏訪大社に戦勝祈願を行っていたと伝えられています。
特に、関ヶ原の戦い後に徳川家康と対立した真田幸村は、大坂の陣において諏訪大社の加護を受けるべく、信仰を深めたとされます。幸村は武運を願い、家臣たちとともに諏訪明神に誓いを立てたと伝えられています。
諏訪大社はなんの神様?四社の違い

諏訪大社四社の違い

諏訪大社には四つの社があり、それぞれ異なる特徴と歴史を持っています。上社と下社、さらにそれぞれの社には「本宮」「前宮」「春宮」「秋宮」という名称がついています。それぞれの社にはどのような違いがあるのでしょうか。
上社には「本宮」と「前宮」があり、諏訪湖の南側に位置しています。本宮の社殿は、その独特な建築様式で知られています。
「諏訪造り」と呼ばれる本殿を持たず、代わりに「幣拝殿」と呼ばれる施設が、中心的な役割を果たします。この構造では、神社の背後にある守屋山が御神体とされ、拝殿が社殿として機能します。
一方、上社前宮は本宮よりも古く、諏訪大社の原点ともいえる場所。諏訪大明神が最初に居を構えた地とされ、四社の中で唯一本殿を持つ社です。
下社には「春宮」と「秋宮」があります。諏訪湖の北側に位置し、上社とは異なる特徴を持っています。特に下社では、神が春と秋に宮を移動する「遷座祭」が行われることで知られています。
春宮は、冬の間神が鎮座する場所で、比較的静かな雰囲気のある社。
対して秋宮は、建築的にも見応えがある立派な社殿が特徴。春宮と秋宮の建築様式は非常に似ていますが、参拝する際にはそれぞれの時期に応じた神事が行われることもあり、訪れる季節によって異なる雰囲気を楽しむことができます。
また、神事や祭りの違いも四社の特徴を分けるポイント。上社では、「御柱(おんばしら)祭」や「御頭(おとう)祭」といった勇壮な祭りが行われ、特に武士の信仰が強かったことを反映した激しい儀式が多くあります。
対して下社では、「お舟祭」など、より地域住民と密着した神事が特徴的。これらの祭りは、諏訪大社の信仰がいかに地域の文化と密接に結びついていたかを示しています。
このように、諏訪大社の四社は、それぞれ異なる歴史や役割を持ち、訪れる人々に多様な体験を提供しています。四社を巡ることで、諏訪信仰の奥深さや地域文化の魅力をより深く理解することができるでしょう。

四社ある理由

諏訪大社は、日本全国に数多くある神社の中でも特に特徴的な構造を持っています。その最大の特徴は、一つの神社でありながら、四つの異なる社(上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)に分かれていることは前述のとおり。
このような形態をとる理由には、諏訪大社の歴史的背景や信仰の形態が深く関係しています。
古くから諏訪地方では、自然崇拝が盛んに行われていました。特に、諏訪湖周辺の豊かな自然は人々の生活と密接に関わり、その中で「ミシャグジ(御左口神、御社宮司)信仰」と呼ばれる独特の宗教観が育まれてきました。
この信仰の中で、神は一か所にとどまるものではなく、季節や人々の営みに応じて異なる場所に鎮座するという考えがありました。そのため、諏訪大社も季節の変化や祭祀に応じて、神を祀る場所が異なったのです。
また、歴史を遡ると、諏訪大社は武士の信仰を集めた神社としても有名。特に、武田信玄や徳川家康といった歴史上の武将たちが崇敬していたことでも知られています。
武士たちが戦勝を祈願する場として、また地域ごとの統治を象徴する場として、諏訪大社が複数の社を持つ形になったとも考えられます。
さらに、地理的な要因も四社制の成立に関わっています。諏訪大社は、長野県の諏訪地域に広がる神社ですが、この地域はもともと「上社」と「下社」に分かれていました。上社は主に諏訪湖の北側、下社は南側に位置し、それぞれの地域の人々が独自の信仰を持っていたことも、四社制の背景にあります。
そのため、現在も上社には「本宮」と「前宮」、下社には「春宮」と「秋宮」が設けられ、それぞれに特色ある神事や祭祀が行われています。
このように、諏訪大社が四社に分かれている理由は、信仰の歴史、地理的要因、そして武士の崇敬といった複数の要素が絡み合った結果といえます。現代でも、多くの参拝者が四社すべてを巡ることで、諏訪の歴史と自然の魅力を存分に感じることができるのです。
四社巡りの御朱印

諏訪大社ではそれぞれの社で御朱印をいただくことができ、四社すべて巡ることで諏訪大社の信仰の深さを実感できます。御朱印とは、神社を参拝した証としていただけるもので、御朱印帳に記帳してもらうのが一般的です。
諏訪大社四社巡りの御朱印には、各社で異なる落款印が。上社本宮の御朱印には本宮、上社前宮には、「前宮」、下社春宮では「春宮」、下社秋宮では「秋宮」のスタンプが押されています。
御朱印をいただく際には、各社の社務所で授与されますが、受付時間が決まっているため、参拝の際には事前に確認しておくことが大切です。
御朱印をいただく際には、参拝を済ませてからお願いするのが礼儀。御朱印は単なる記念品ではなく、神社とのご縁を結ぶものとして大切に扱いましょう。
諏訪大社四社巡りをする場合、すべての社を1日で巡ることも可能ですが、ゆっくりと神社の雰囲気を楽しみながら巡るのもおすすめ。四社を巡ることで、諏訪信仰の歴史や自然との関わりをより深く感じることができるでしょう。
諏訪大社の七不思議

諏訪大社には、古来より「七不思議」と呼ばれる神秘的な伝説が語り継がれています。これらは、自然現象や神事に深く関わるものであり、諏訪大社の信仰の奥深さを象徴するものでもあります。ここでは、諏訪大社の七不思議について詳しく解説していきます。
1. 御神渡り(おみわたり)
冬になると、諏訪湖が全面凍結し、その氷に亀裂が走ることでできる隆起した氷の道を「御神渡り」と呼びます。これは、上社の建御名方神が下社の八坂刀売神のもとへ通う道であると伝えられています。
この自然現象は気温や天候に左右されるため、発生しない年もありますが、発生すると「御神渡り神事」が行われ、その年の農作物の豊凶が占われます。
2. 御作田の早稲(みさくだのわせ)
6月30日に田植えが行われ、通常よりも早く稲が実ることが特徴。毎年6月30日に「田遊神事」という祭りが行われ、神職が神前で稲作の所作を行います。田植えをした稲は、約1ヶ月後の8月1日には穂を刈り取ることができ、神前に供えられます。
この短い成長周期は、御作田社の神話的な側面と結びついており、稲作の豊穣を祈願する重要な儀式として位置づけられています。
3. 宝殿の天滴(ほうでんのてんてき)
諏訪大社の上社本宮にある「宝殿の天滴」とは、どんなに晴天が続いても屋根から1日最低3滴の水が落ちてくる現象。
この水は古来より「ご天水」として崇められ、特に干ばつの際には雨乞いの儀式に用いられることもありました。この神秘的な現象は、諏訪大社が水の守護神であることを象徴しています。
4. 葛井の清池(くずいのせいち)
葛井の清池は、長野県茅野市に位置する葛井神社の境内にある池で、諏訪大社上社の摂社として知られています。池は底なしとされ、年末の大晦日には、諏訪神社上社で使用された道具や供物を沈める神事が行われます。
この神事では、沈められた物が翌朝、遠州(静岡県)のさなぎの池へと浮かび上がると伝えられています。理由は池の底が他の水域と繋がっていると考えられているため。
5. 神野の耳裂鹿(かみのの みみさけじか)
毎年3月に行われる御頭祭では、神野(こうや)と呼ばれる八ヶ岳の裾野で捕らえられた75頭の鹿の頭が供えられ、その中に必ず耳の裂けた鹿が含まれます。この耳裂鹿は神の矛に掛かった特別な鹿とされ、古くからの神事の一環として続けられています。
6. 元朝の蛙狩り(がんちょうの かわずがり)
元日の朝、御手洗川の川底を掘り返し、冬眠中のカエルを捕まえます。捕まえたカエルは一段高い場所で氷を砕き、矢で射抜いて捧げられます。
この時、蛙を生け贄として神前に供えることで、五穀豊穣や国家平安を祈願。この儀式には毎年カエルが必ず見つかるという特異性があり、そのため「諏訪大社の七不思議」の一つとされています
7. 穂屋野の三光(ほやののさんこう)
穂屋野の三光は、諏訪神社における神事において重要な行事とされ、その起源は古く、700年以上前から言い伝えられています。
この神事は、毎年1月に行われ、地域の人々や観光客が集まり、神聖な儀式を体験します。太陽、月、星が同時に見えることが伝えられており、参拝者が三つの光を拝むことができるとされています。
これらの七不思議は、諏訪大社の長い歴史と神秘的な信仰を象徴するものであり、今も多くの参拝者の興味を引きつけています。
アクセス方法

諏訪大社へ参拝する際には、交通手段やアクセス方法を事前に確認しておくことが重要です。諏訪大社は四つの社が異なる場所に点在しているため、効率よく巡るための移動手段を考えることが大切です。
電車でのアクセス
電車を利用する場合、最寄り駅はJR中央本線の「茅野駅」または「上諏訪駅」となります。上社本宮・上社前宮へ行く場合は茅野駅が最寄りで、駅からバスやタクシーを利用すると便利。
一方、下社春宮・下社秋宮へ行く場合は、上諏訪駅または下諏訪駅が最寄りとなります。各駅から路線バスやタクシーを利用するのが一般的です。
車でのアクセス
車を利用する場合、中央自動車道の「諏訪IC」または「岡谷IC」が最寄りのインターチェンジ。諏訪ICからは上社方面へ、岡谷ICからは下社方面へアクセスしやすいです。
各社には駐車場が完備されているため、車での移動もスムーズに行うことができます。ただし、休日や観光シーズンには駐車場が混雑することがあるため、早めの出発を心がけると良いでしょう。
バスでの移動
諏訪大社の四社を巡る際には、路線バスを利用するのも一つの方法。アルピコ交通の路線バスが各社の最寄りバス停まで運行しており、特に上社と下社を結ぶ路線は観光客にも便利。
ただし、本数が少ないため、事前に時刻表を確認しておくことが必要です。
レンタサイクルや徒歩での移動
下諏訪駅周辺ではレンタサイクルのサービスがあり、下社春宮と下社秋宮を巡る際には自転車を利用するのもおすすめ。歩いて巡る場合は、歴史的な街並みを楽しみながら参拝することができます。
ただし、上社と下社の間は距離があるため、徒歩での移動はあまり現実的ではありません。
諏訪大社へのアクセスは多様な方法があるため、自分の旅のスタイルに合わせて選ぶことができます。効率よく巡るためのプランを立てることで、快適な参拝ができるでしょう。
上社前宮と上社本宮
下社春宮と下社秋宮
まとめ:諏訪大社はなんの神様?歴史と信仰の深さ
- 諏訪大社は、日本最古級の神社で諏訪地方に鎮座する
- 全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である
- 上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の四社で構成される
- 『古事記』『日本書紀』にも記述があり、2000年以上の歴史を持つ
- 本殿を持たず、自然そのものを神聖視する信仰形態を持つ
- 主祭神は建御名方神で、武神としての性格が強い
- 妻神の八坂刀売神は農耕・水の神としても信仰される
- 出雲神話と関連が深く、事代主神も祀られている
- 武田信玄や徳川家康などの武将が戦勝祈願に訪れた
- 7年ごとに行われる「御柱祭」は日本三大奇祭の一つ
- 「御神渡り」など、神秘的な自然現象と深い関わりを持つ
- 勝負運・武運長久・商売繁盛・縁結びなど多様なご利益がある
- 御朱印は四社それぞれで異なり、巡ることで特別な意味を持つ
- 四社は地域ごとの歴史と信仰の違いを反映している
- 交通手段は電車・バス・車が利用でき、計画的な参拝が重要だ








